スレッドが借家に戻ってからしばらくして、レイテンシーがやってきた。
「遅くなりまして申し訳ありません」
「大丈夫だ。呼び立てて悪かったな」
頭を下げるレイテンシーに軽く手を振る。
スレッド達は机を囲んで車座に座っていた。空いている席に座るようレイテンシーを促す。
彼女が席に着いたのを確認し、最初に口を開いたのはデプロイだ。彼の集めてきた情報を皆で整理する。このような情報共有自体はこの1年で何度も行った。しかし、今日は机上にいつもと異なる点がある。
机の上には地図が置かれていた。この辺りの地域だけを記したものではなく、3大国を俯瞰する広範囲の地図である。
城から逃げ延びた際に持ち出したものなので、かなり正確なもののはずだ。
地図の中央部にはクレ山があり、それを囲むように針の森が広がっている。3大国の周囲は北西部の一部が砂漠となっている以外、山脈に囲まれていた。リング状のドーナッツを思い浮かべると近いかもしれない。
右上、すなわち北東にあるのがスレッドの故郷ダイアログ皇国だ。国土のほぼ中央に首都タイリングがある。タイリングはダイアログ皇国の政治の中心地であると同時に宗教的な聖地でもあるが、それはまた別の話だ。
下半分を占めているのがイカーン帝国であるが、現在地のシュリンク村はこの地図には載っていない。地図に載るほどの大きな村ではないからだ。
それでも大体の位置は分かるので、今は仮に赤いピンが刺してある。位置としては国土の真ん中よりやや左の上、針の森に接している辺りだ。
クレ山を挟んでいるため、ここからダイアログ皇国に戻るためには大雑把に分けて2つのルートが考えられる。すなわち、クレ山の下を回るか、上を回るかだ。
下回りならばイカーン帝国内を通り、上回りならば地図の左上に位置する大国──コンソール王国を通る必要がある。
1年前はイカーン帝国内を通るルートでこの村に辿り着いた。
今回はどうするか。
「まずは、情報が必要だろうな」
「というと?」
首を傾げるキャッシュを無視して、ロプロが続けた。
「ここから一番近くにいて、殿下をご存知なのは皇太子殿下でしょう」
「そうだな」
近年は3大国のバランスが拮抗しており、領土の境で小競り合いはあっても大きな戦にはなっていない。
そのため、ダイアログ皇国でクーデターが起こるまではそれぞれの国で親善のための会議やらパーティやらが催されることも少なくなかった。
スレッドも何度かそういう集まりに父王と共に参加したことがあり、帝国の皇太子とも面識がある。
「帝国の皇太子殿下というと、グヌー様、でしたか?」
レイテンシーが何かを思い出すような表情で問うた。
「ああ、そうだ。帝国の人間にしては話が通じそうな相手だった」
イカーン帝国はそもそも、現在の3大国全てを領土としていた神聖アイアナ帝国という国の流れを引く国だ。
その神聖アイアナ帝国から独立したのがダイアログ皇国とコンソール王国である。神聖アイアナ帝国の直系の子孫が途絶えたためにイカーン帝国と国名を変えたが、体制はそれ以前とほとんど変わらず、支配者層の意識も変化はない。
すなわち神聖アイアナ帝国の流れを汲むイカーン帝国こそが宗主国であり、ダイアログ皇国とコンソール王国は属国に過ぎないと認識しているのである。
反発も少なくないものの、3大国の中で最も国力があるのはイカーン帝国なので表立って反論する者は少ない。
現在のイカーン帝国の頂点に君臨しているのは女帝リーナ・ストーバルズという人物だ。彼女が領土の拡大を狙っているという噂は即位時点からあった。今回のクーデターも下手にイカーン帝国の介入を許せばまず間違いなく領土の割譲を要求されるだろう。
未だダイアログ皇国のクーデターに口出しをしたという話は聞かないが、水面下ではどうなっているのか分からない。潜伏中の身では得られる情報にも限りがある。そして今まで介入がなかったからといってこれからもないと楽観視するには危険すぎる相手であった。
「このままイカーン帝国に静観していてもらうためにも、出来れば上の方に立つ人間と交渉したい」
その点、次期王位継承者である皇太子ならば不足はない。こちらに差し出せるカードが少ないのがネックだが、少しでも情報を引き出せるなら接触してみる価値はある。イカーン帝国の動向はなんとしても把握しておきたかった。
「皇太子殿下はどちらにいらっしゃるんです?」
「ここ、メディアですよね」
国外の地理が苦手なキャッシュの問いに、地図上を指差してデプロイが答える。
レイテンシーが青いピンをメディアに刺した。
メディアは次期王位継承者である皇族の直轄地パームレスト地方で最も大きい都市である。
シュリンク村もパームレスト地方にあるが、大きさが違う。
帝国内でも有数の大都市であるメディアには様々な情報が集まっているはずだ。
「その交渉の流れ次第だが、次はやはりコンソール王国だろうな」
コンソール王国とダイアログ皇国は、長年友好関係を保っている。特に現皇王とコンソール王国の国王は友人同士だ。また、かの国の国王は英雄王と称される高潔な人物で、イカーン帝国よりは助けを求めやすい。
「コンソール王国との国境には母上の実家もある。警戒はされているだろうが、なんとかつなぎを取りたい」
王妃──スレッドの母は国境の地を治めるオーバーレイ伯爵の娘で、スレッドは昔から祖父である伯爵に可愛がられていた。
オーバーレイ伯爵領は現在も王弟に批判的な地域だ。王位が簒奪され、娘である王妃も行方不明であるという状況から考えれば、素直に王弟に従うことは出来まい。
無論、王弟側も行方不明のスレッドが祖父を頼ることは織り込み済みだろう。
「オーバーレイ伯爵領を含むシーラス地方には何人か知り合いがおります。今回の情報収集中、既に何人かには連絡をつけてあります」
控えめにデプロイが口を挟んだ。
信用できるのか、とは誰も問わない。デプロイの判断を信じている。彼の人を見る目は確かだ。
そのまま細かなルートといくつかの作戦を立てる。もうじき、この村を離れることになりそうだった。