「はい、これを渡しておくよ」
指輪を手渡される。
透明な黄色い宝玉の中には、クロヌスの象徴である黄竜の紋様が浮かんでいた。
精緻だが、決して派手ではない銀細工の指輪である。
どこかで見た様な、と考えてそれが今まさに師匠の指に嵌っているものと同じだという事に気づく。そういえば、伯母も同じ物を付けていた気がする。
「これは……?」
「君の身分を証明してくれる物だよ。証書を持ち歩くよりはこちらの方が楽だからね。イグレーヌ様から例の話は聞いたろう?」
無言で頷く。
例の話、とはむろん式典における七賢者の相手の話である。
サラとの待ち合わせに遅れたのはその話を聴いていたからなのだ。
おかげで財布は軽くなってしまったが、嬉しいことに変わりはない。
「この指輪は世界中どこでも身分の保証になる。国毎に同じ様なものがあるからね。これを付けていれば君が王宮に所属する人物だと分かってもらえる。くれぐれもなくさないようにね」
「はい。必ず無傷でお返しします」
七賢者の話し相手という役目が終われば当然返すのだろうと思って返事をしたのだが、ラウルはポンッ、と手を打った。うっかりしていた、という表情も忘れない。
「言い忘れていたかな?」
首を傾げるエセルに、にっこりと笑って告げる。
「今日からこれは君の物だよ。返さなくて良い」
「……え?」
意外な言葉に、思わず聞き返す。
ラウルはいたずらが成功した子どもの様な表情だ。
この人は自分の反応を見て楽しんでいるのではないだろうか。
エセルは思ったが言わないでおく。否定されても信じられないし、肯定されるのも困る。
そんな弟子の様子を面白そうに見ながら、ラウルは話を続けた。
「本来的には一人前の王宮魔術師の身分を保証するものなんだけどね。今回の仕事は大任だし、必要不可欠だと判断したんだ。だから、少し早いけれど渡すべきだと主張したら、皆さん快く承諾してくれたよ」
本当に快く承諾してくれたかどうかは甚だ疑わしい。
皆さん、とは元老院の事を言っているのだろう。
元老院は10人程の王宮魔術師と錬金術師で構成される組織で、イグレーヌも所属している。
国内の最高組織であるが、それだけに頭の堅い人物が多く、決定も遅い。
おそらくはエセルの為に無理を言ってくれたのだ。
「ありがとうございます、師匠」
エセルは精一杯心を込めて礼を言う。自分の幸運に涙が出そうなくらい感謝していた。
「いやいや、礼には及ばないよ」
軽く手を振り、ラウルは胸ポケットから一枚の紙片を取り出す。
何やら数行に渡り文字が並んでいるのが見えた。
内容を確認して、一度頷く。
「でも、この紙を持って買い物を頼まれてくれると嬉しいな」
「はいっ」
エセルは笑顔で紙を受け取った。
「あーあ」
大きくため息を吐いて、サラは椅子から立ち上がった。
サラがクロヌスの王立研究院に入学して今年で三年目になる。
研究院とは錬金術師を育成する学校の様なものだ。
入学年齢に制限はなく、また卒業年齢にも制限はない。
概ねの生徒は17から22歳の間だが、初等学校を卒業したばかりの少年少女から教師よりも年上の老人まで色々な年齢層の生徒が混在している。
立地条件の所為か国籍も様々で、クロヌス以外の国から来た生徒もかなりの数である。
実を言うとサラも西の隣国――“金”気の国ワルキリエの人間だ。
なお、エセルはクロヌスの人間である。
さて、サラが何故ため息を吐いていたかというと。
午後の一つ目の授業が休みになったからだ。
授業が休講になった事自体は嬉しいのだが、その次の授業は普段通りあるので帰る事も出来ない。いきなりの自習で何をしようかと困っていたのである。
結局、適度にざわついた教室を後にして図書室に向かう。
本を借りて読むなり、寝るなりしようと思ったのだ。
静かな廊下を歩き、二階分階段を下りて図書室の扉を開ける。
思ったより人が居た。
残念ながら席がほとんど埋まっている。ちょっと座れそうにないし、寝るなんて更に無理そうだ。
首を振って、サラはふと窓の外を見る。気持ちいいくらいの晴天だ。
風もなさそうだし、外に出るか。
そう決め、とりあえず目に入った『時の乙女の伝承』という本を借りて図書室を出た。
ラッキーな事に、人がいなさそうな場所を知っているからだ。
校舎の一番奥の階段を今度は上っていく。
この階段は知る人ぞ知る屋上へと続く階段なのだ。
階段の存在を知っている人も、あそこの鍵が壊れている事までは知らない事が多い。
鍵の代わりにちゃちな封印術が施してある所為なのだが、サラには通用しない。
そもそも、錬金術は魔力のない人間が魔法の代わりに研究してきた分野だ。
そのため今でも魔導師になれなかった人が錬金術師を目指す場合がほとんどである。
しかし、サラは魔力がない訳ではない。むしろ並の魔導師より強大な魔力を持っている。
その事は彼女の髪の長さからも伺える。
サラの髪は一見肩の辺りで切りそろえられている様に見えるが、後ろの一束だけ伸ばすという変則的な髪型をしている。長さはエセルとほぼ同じだ。
それでは何故サラは研究院に通っているのか。
それは彼女の性格による所が大きい。
はっきりとした事を好む彼女にとって、曖昧さを良しとする大半の魔導師連中は苛立つばかりなのだ。
外見や言動からあまり彼女に近寄る人間はいないが、サラの事を知る人間は必ず言う。
「はっきりしすぎた性格だ」、と。
そんな訳で錬金術師の道を選んだのだが、一つ問題があった。
サラの実家はワルキリエでも有数の貴族で、優秀な魔導師を輩出している名家なのだ。当然サラにも錬金術ではなく、魔術の道を進ませたがった。
ワルキリエには西の学院『白』という魔術学院があり、サラ自身もそこを卒業している。
けれどそのまま魔術の研究や結婚をするつもりはさらさらなかった。
学院の卒業後、姉と妹の協力もあり必死に頼み込んで研究院に行かせてもらえる事になったのだ。
そんなこんなで研究院に通う許可が出たのだが、家にいると非常に居心地が悪い。母の姉がこちらに嫁いできている事ややりたい研究の都合もあり、最終的にクロヌスの研究院に入学する運びとなった。
それが今から三年前である。
こうして錬金術の道を進んだサラではあるが、偏執的な一部の魔導師の考え方が嫌いなだけで魔術自体は嫌いではない。
現に今でもエセルを通じて魔術の研鑽にも励んでいるのだ。
それなりの術なら使いこなせる。
「さて、と」
屋上へと続く扉の前に立ったサラは鍵の部分に手を当てた。
意識を集中させれば、魔術的な仕掛けが施されているのが分かる。
深呼吸して短く「力ある言葉」を呟くと、扉の封印が解けた。
ゆっくりと扉を開け、一歩踏み出す。
風がサラの髪を揺らした。暖かな春の風だ。
日なたに座り込んで借りてきた本を開く。
内容は統一教という世界中で最も信仰されている宗教に関連した話だった。その中でも5人の神々に認められた「時の乙女」という存在を軸にした伝承が語られている。
なんとなく手に取ってみた本だが、思っていたより面白い。
今度エセルに勧めてみよう、と思うくらいには。
しばらく読んでいると、不意に扉の開く音が聞こえた。
そういえば鍵の封印術は施していないな、と頭の片隅で考える。
どうせ誰も来ないだろうから自分が去るときに封印術をかけ直そうと思っていたのだが、甘かったらしい。
次回からはきちんとかけ直すことにしよう。
そう決意し、顔を上げて、今入ってきた人物の方に視線をやる。
まず目に入ったのは灰銀色の髪だった。
銀色の髪は非常に珍しい。エーテルの元素を持つ人間は少なからずいるが、それが髪に出るのはごく一握りだ。
じっと見ていると視線を感じたのか目が合った。しかしすぐに逸らされてしまう。
見たところ、サラより少し年上だろうか。
見覚えのない顔だが、おそらく教師ではないだろう。
興味をそがれて、サラは本に視線を戻す。
鐘が鳴ってサラが教室に戻ろうとする頃には、男の姿はなくなっていた。