「酷いわ、サラったら。そりゃあ30分も待たせたのは悪かったと思うけどっ!!」
ぶつぶつと怒りの独り言を呟きながら、エセルは一人王宮の廊下を歩いていた。
「どうしたんだい?」
なじみ深い男性の声に呼び止められる。
顔を上げると、目の前で一人の男性がにこにこと微笑みを浮かべつつこちらを見ていた。
「あら、
男性は優しく笑う。
彼の名はラウル=ルクランシェ。
伯母の弟子であり、かなり若い部類に入る王宮魔術師だ。
忙しくて普段はなかなか面倒をみられない伯母に代わってエセルの修行についていてくれるため、彼女は「
「珍しくいつもより元気が良いみたいだね」
言われてエセルは少し顔を赤らめた。
今更ながら、王宮内で独り言を呟いていたことを恥じる。
「何やらしばらくブツブツ言っていた様だから、声がかけにくかったよ」
朽ち葉色の瞳を細めて笑われ、エセルは口をとがらせた。
「ひどいです、師匠」
「ははは、まあ良いじゃないか」
ラウルはふと思い出したかの様に言葉を続ける。
「あぁ、そうだ。君に渡す物があったんだ。この後用事がないなら一緒に研究室まで来てくれないかい?」
エセルは少し考えた。
ラウルに会う以外には伯母に挨拶に行こうと思っていただけで特に予定はない、はずだ。
「はい、分かりました」
「じゃ、行こうか」
師匠は弟子についてくるよう促して歩き出した。
それに従い、一歩半ほど後れて進む。
自然とラウルの背で踊る、束ねられた長いココアブラウンの髪が目に入った。
彼は白い外套を着ているから、特に目立つ。
「師匠の髪はこれ以上伸びないんですか?」
思わず質問してしまった。
この世界では、髪が長く伸びるという事はすなわち魔力を持っている事を示している。
魔力のない人間は伸ばそうと思っても肩のラインを越さないので、髪が長いということは一種のステータスでもあるのだ。
実際、都を歩いていてもほとんどの人がショートカットである。
これは、それ以上髪が伸びない所為だ。
魔力のある人間は髪を伸ばしている事が多い。
別に髪を切ったからといって魔力がなくなる訳ではないが、魔力の分だけ髪が伸びるので自分の力の限界を知るためにも、また、それを知らしめるためにも伸ばせるだけ伸ばす方が一般的である。
今現在、ラウルの髪は腰の下辺りまで伸びている。エセルよりも十数センチ以上長い。
「そうだね、多分まだ伸びるんじゃないかな?」
「……多分、ですか?」
エセルは聞き返した。
「そう、君と同じだよ」
顔だけ振り返ったラウルと目が合う。
「私もこのラインで切っているのさ。自分の限界を知りたくないからね」
さらりと言われて危うく聞き流しそうになったが、エセルは気付いた。
知られている。
弟子が軽く目を見張ったのを見て、ラウルはふっと笑った。
「バレてないとでも思ったのかい?うかつだなぁ、エセル」
「……伯母様もご存じだと思いますか?」
意を決して尋ねたのに、また笑われる。
「そりゃあね。だって私はイグレーヌ様から聞いたのだから」
イグレーヌというのがエセルの伯母の名前である。
「だからもう一つの理由まで分かっているよ」
またまた爆弾発言だ。
エセルはため息を吐く。まさかそこまで知られているとは思わなかった。
その様子を見て、ラウルはフォローにならないフォローを入れる。
「大丈夫だよ。私達以外に君の髪がまだ伸びるだろうと確信しているのは、多分数人だろうから」
それはまあ、何よりではあるのだが。
広い王宮内、誰が聞いているか分からないのだから、廊下で歩きながらする話でもないだろう。幸いにも人通りの少ない場所ではあるが――いや、もしかするとだからこそ話しているのかもしれないが――どこで誰が聴いていてもおかしくはない。
ただでさえ王宮という場所は権謀術数の巡らされる場である。人が居ない様に見えても、間諜の一人や二人、潜んでいるかもしれないのだ。
確かにうっかりと尋ねてしまった自分も悪かったが、あっさりと答える師匠も師匠だ。
そんな事を考えているのが分かったのか、エセルの顔を見ながらラウルは事も無げに言った。
「心配しなくても良いよ。他の人には適当な話が聞こえているだけだから」
つまりは魔法で細工をしているということだ。
あっさりと言ってくれたが、王宮内はほとんどの場所に結界が張ってあり、魔法の威力が弱められてしまうのだ。そんな中で平然と魔法を使いつつ、エセルに気づかれる事もないのだから、やはりラウルは並の魔導師ではない。
「でも、そんな
言うと、尋常でなく強力な魔力を持つ師匠はさらりと笑う。
「先に
明らかに冗談だと分かる口調でにこにこと言われ、エセルは反論を諦めた。
どうせ師匠に敵うわけもないのだ。
しばらく歩くと研究室棟に入る。
ここは城の奥の棟にあり、王宮魔術師や王宮付きの錬金術師が研究を重ねる場所である。
国庫から資金援助がなされるため、かなり高度な研究が進んでいるらしい。年に一度、その成果を発表する場が設けられており、その結果によって援助額が決まるそうだ。
ちなみにエセルの伯母イグレーヌは、最奥に近いかなりの広さの研究室が割り当てられている。
その手前にあるのがラウルの研究室だ。
短い呪を唱え手をかざすと、ゆっくりと扉が開く。
中は薄い青と白を基調にした部屋で、魔法の明かりが灯っていた。
この部屋は人が来た時に使われるため一応整理されているが、奥の部屋に入ると雑多に物が置いてある。
ラウルに続いて足を踏み入れ、中を見回す。
こちらの部屋がメインの研究室となっており、ラウルとエセル以外の人間は滅多に入る事がない所為か整頓されていない物も多い。
きらびやかな装飾の剣や杖、妖しげな光を放つ水晶球、色とりどりの布などが無造作に置かれているかと思えば、不気味な骨や用方法が分からない黒帽子が混在している。
何度入っても、興味は尽きない。
その他にも魔術とは関係なさそうなビーカーやフラスコなどが共存していたりする。
これらの道具は、以前ラウルが錬金術師として世界を廻っていた時の物らしい。
その頃の事をエセルはあまりよく知らない。
何故、元錬金術師が王宮魔術師になったかも。
何故、伯母と親しくなったのかも。
大事な事は、何も。
ただ伯母が彼の才能を埋もれさせるのは惜しいと言って推薦したという噂しか知らない。
伯母…あるいは本人に尋ねれば教えてくれるのかもしれないけれど。
誰だって訊かれたくない事があるというのは当たり前なので、話してくれる気があるのならそのうち話してくれるだろう、とその点を質問した事はなかった。
大切なのは今現在だ。過去ではない。
水晶球を眺めながら、エセルはぼんやりと思う。
不意に響いたがさりという音に振り向けば、ラウルが机の引き出しから黒い小箱を取り出す所であった。蓋を開けてエセルに見せる。
中に入っていたのは、宝玉の付いた指輪だった。