中途半端に開け放してあった扉から廊下に出ると、熱気が襲ってくる。近い!火が近い!
階段に戻ろうとして、ざっと血の気が引いた。
いくつかある使用人用の狭い道に入ろうにも、奥の方が火の回りが早い。
それはすなわち、私が通ってきた使用人用の階段が使えない可能性が高いことを示す。
「兄様、下におりるかいだんがいくつあるかごぞんじですか?」
ひとまず充満している煙をこれ以上吸い込まないように鍵の開いていた部屋に入ると、扉を閉めて兄様に尋ねた。
兄様は眉根を寄せて考える。
「普段使っている階段が一箇所、ただしこれは王宮側だ。もう通れないと思う」
勢いよく燃えてたからなあ。
「しようにんようのかいだんは?」
「どこかにはあるだろうけど、把握はしていない」
駄目元で聞いてみたが、やっぱり知らないか。生粋の王子様だもんね。むしろ知ってたら驚く。
私も自分の居住棟の階段がいくつあるかなんて知らないし。兄様と同じで貴人用の階段以外を見たことがない。
おそらく使用人用の階段が一つ、多くて二つってところだろうけど。
こうなったら、窓から降りるしかないか。あるかどうかも分からないもう一つの階段を探すよりはその方が確実だろう。
三階だし、本当はやりたくないけど仕方ない。
「ではテラスのあるへやをさがしましょう」
「テラス?」
「おおきなぬのもあるとたすかるのですけど……」
リネン室は使用人のスペースだろうから期待薄かもな。この部屋は応接室のようで、大きな布類は一切見当たらない。
一番大きいのはカーテンだけど外せる気がしないから論外。
再度廊下に出ようとしたところで、兄様に止められた。
「待ちなさい。何をするつもり?」
何ってそりゃもちろん。
「おりるんですよ?」
即答すると眉間にしわを寄せてため息をついた。美少年が台無しだよ?
「はやくしないとここもあぶないですよ、兄様」
「はあ……。もういい、行こう」
何かを諦めたっぽいけど今は緊急事態だし、あえて蒸し返すこともあるまい。
部屋を出て炎とは反対に向かって走る。今度は兄様が先だ。
当てがあるのだろうと大人しくついていくと、突き当りの二つ手前の扉で兄様が止まった。他と比較してもなかなか豪華な扉だ。
手をかければ鍵はかかっていないようでかちゃりという軽い音と共に扉が開く。
兄様に続いて中に入った。廊下よりも暗い室内に目が慣れないが、兄様に手を引かれるまま左手の壁に向かう。
暗闇に目が慣れると、壁一面が本棚になっていることが分かった。
この部屋の窓は扉の真正面にあるが、さほど大きいようには見えない。
「シャーリー、もう少しこちらにおいで」
近付くように言われて首を傾げながら兄様の横に並ぶ。
本棚から私の歩幅で二歩。大人なら一歩で近付けるような位置だ。
どうするのかと兄様を窺うと、しばらく壁面のあちこちに視線を走らせた後に「ここか」と呟いた。
大型の本が並べられた列から一冊を手に取り、別の棚に押し込む。
同様の動作を二回繰り返した次の瞬間、ガタンという音と共に目の前の本棚が後退した。
呆気にとられる私に対し、兄様は落ち着いた様子で後退した本棚の仕切りを掴んで横に移動させている。
えっと、これはもしかしなくても緊急用の隠し通路だろうか。
「あの、兄様?」
「ほら、行くよ」
私の戸惑いに気付いているだろうに、スルーしたね?悠長に押し問答をしている場合でもないからいいけどさ。
兄様の後に続いて、本棚の奥に進む。明かりがないので確かなことは言えないが、どうやら煉瓦で作られた通路のようだ。
本棚の裏はかなりしっかりとした扉になっていた。動かしやすいように取っ手がつけられている。
二人とも中に入ったところで、兄様は扉を元の位置に戻した。逃げる途中で煙が入ってきても困るからであろう。
ぴったりと閉じてしまえば、辺りは暗闇に包まれる。
な、何も見えないんだけど大丈夫?
完全に扉が閉じる前に繋がれた手だけがそこに兄様がいることを教えてくれる。
それがなければ置いて行かれても分からないかもしれない。
「周りを見てごらん」
言われて首を巡らせる。
真っ暗闇だと思っていたが、目が慣れてくればほのかに光るものが見えた。道案内替わりかな。
足元から一方に向けてぽつぽつと何かが光っている。
「これは……?」
「非常用の隠し通路だよ」
いや、今その説明は必要ないから。見れば分かるよ!むしろ違ったらその方が驚きだ。
「光を辿れば出口に辿り着く」
それもそうなんだろうね。私が聞きたかったのはそういうことじゃないんだけど。
「行こう」
促されてしまえばこれ以上何か聞くのも躊躇われる。手を引かれるまま大人しく進むことにした。
行く先に目をやると光の道しるべが徐々に低い位置になっていく。螺旋状の緩やかな傾斜になっているらしい。
階段じゃないだけマシだと分かっていても暗闇で下り坂は素直に結構怖い。
元の階は三階だったから、少なくとも三階層以上は降りるのだと想像はつく。
想像は出来るがひたすらぐるぐる回っていると今どこまで降りてきたのか分からないな。
しばらく無言で歩いていると、平地に降りたのが分かった。ぐるぐる回りながら降りたので今どっち方向を向いているのかさっぱり分からん。
足元は煉瓦から石畳になったようだ。なんとなくだけど感触が変わった。
そういえば室内履きの靴に無茶させてるなあ。結構気に入ってるデザインだったけどこれだけあちこち歩きまわったらもう使えまい。残念だ。
道しるべの光しか見るものがないので、のんびり考えながら手を引かれて歩く。
光は辺りを煌々と照らすというほど明るくはないから、暗闇に慣れた目でも周囲はおそらく通路っぽいなということしか分からない。
においが今までの乾いた感じからやや湿った感じになってきた。
兄様が迷いなく進むから一緒に進んでるけど、出口はどこになっているんだろう。かなり不謹慎だと思うが、少しだけわくわくする。
「兄様はこのかくしつうろをしようしたことがあるのですか?どこにつながっているのか、ごぞんじですか?」
「いいや、話には聞いていたけど実際に使うのは初めてだよ。どこに繋がっているのかは知っている、一応ね」
い、一応って。ちょっと不安になった。まあでも実際に使ったことがなければそう答えるしかないのか。
一抹の不安を残しつつさらに先に進むと、ある一点で光が消えた。消えたというかその先に光がなかった。え、その先は?
疑問はすぐに解消した。最後の光の横まで来ると、右手側が光っているのが見える。なるほど、ここにきていきなりの曲がり角。
右手側に直進して少し行くと、右側のやや奥まった所に扉があった。
何故扉があると分かったかって?そこだけ扉型に光ってたからだよ。
見落とし防止なんだろうけど露骨すぎじゃない?ご丁寧に取っ手の部分も光っていた。
兄様が取っ手に手をかけると、予想以上に簡単に扉が開く。
ただまあ、個人的には押し戸でも引き戸でもなく、扉が横開きだった方が予想外だった。まさかのスライドドア。
扉を抜けた先は部屋のようだ。通路のものと同じであろう光が扉の左手、私の膝くらいの高さに見える。
その下に置かれているのはカンテラだ。
兄様が明かりを灯すと、ここがごく小さな部屋であることが分かった。大人が二人手を広げたくらいの幅しかない。
何も置かれていないし、隠し部屋なのかもしれないな。
先程出てきた扉の真向かいに別の扉がある。今世で見慣れた豪華な飾り付きの扉ではない。実用第一、といった感じの質素な扉だ。
その扉を開けると、またしても小部屋。ただし、こっちの部屋には木樽やら木刀やら鎧の一部やらが雑然と置かれていた。
見るからに物置だ。掃除はしているのかもしれないが、どことなく埃っぽい。
今の扉と別の壁面にはまた扉。兄様は迷わずその扉を開ける。使ったことがないと言っていた割に、不安がる様子もない。
置いて行かれてはたまらないのでちょこちょこと後ろについていくと、扉の先は階段になっていた。
明かりはついていないが、カンテラの光があるし上るのに苦労はしない。
階段を上った先はまた扉。どんだけ扉が続くんだ、と疲れた頭で考えていたら出た先は外だった。
おそらくそんなに長時間ではなかったにしろ、真っ暗で閉塞した空間にいたせいで空気がおいしい。開放感と共に大きく息を吸い込んだ。
で、外なのは分かるけど、ここどこよ?きょろきょろと見回すも、建物の陰になっていてさっぱり分からない。
遠くからざわざわと人の声が聞こえる。反射的に兄様の服の裾を掴んでしまった。
「大丈夫、ここはまだ王宮内のはずだから。行くよ」
安心させるように微笑んだ兄様に連れられ、芝生を突っ切って声のする方に進む。
少し歩くと騎士の格好をした人々が見えた。
兄様が躊躇いもせず声をかける。
「すまない、後宮に戻りたいんだが案内してくれないか」
話をしていた騎士達は急にかけられた声に飛び上がって驚いた。四人が四人ともこっちに気付いてなかったもんなあ。
声をかけてきた人物を見て再度驚く様子がなんかもう面白い。
寝衣の第一王子とやっぱり寝衣に一枚羽織っただけの第四王女がいきなり後ろから出てきて声をかけたらそりゃあ驚くだろう。
いや、私の顔を認識しているかどうかは微妙か。普段は後宮から出てこないし。
「だ、第一王子殿下!?」
「何故このような所に……」
年若そうな騎士達だが、自国の第一王子の顔は覚えていたようだ。少なくとも不審者扱いされることは避けられたようでほっとする。
まあ騎士達はちらちらと私の方を見て首を傾げてるけど。やっぱり知られてないな、この反応は。
ここで自己紹介をするべきか悩んでいたら、兄様がさらりと「妹が、何か?」と尋ねてくれたおかげで妹王女であると理解してくれたらしい。
「いえ!後宮ですね、ご案内いたします」
騎士の一人が先導し、無事に後宮の入り口まで戻ってくることができた。
案内してくれた若手騎士達に礼を告げ、見張りとして立っていた女性騎士に私付きの侍女を呼んでもらう。
迎えに来てくれたのは、兄様の居住区の方まで私を探しに来てくれた侍女だった。後ろには女性騎士も控えている。
「四姫様!」
いつにないお怒りモードに既視感。いや違う、ほんの数刻前に同じようなことがあっただけだ。
分かってる分かってる。ちょっと現実逃避をしたくなっただけだから。
私は兄様を盾にするようにして隠れた。
「ええと、ごめんなさいね?」
兄様は微笑みを浮かべたままだ。この場でのお説教回避のため、私はもう少し兄様を盾にすることに決める。
「兄様はこれからどうなさいますか?」
「本宮に戻るよ」
盾にされたことを分かっている兄様は苦笑しつつ答えた。
「流石にあの状態では泊まれないだろうからね。適当な客室を使うさ」
ちらりと見た第一王子の居住棟はかなりの部分が延焼しており、未だに煙を吐いている箇所もある。
戻ったところで寝られないだろう。警備上も問題あるし。
「そうですか。おくっていただいてありがとうございました。……おきをつけて、おやすみなさい」
大人しくお怒りの侍女の元に向かうことにしよう。
「うん、おやすみ」
兄様に手を振って、後ろ髪を引かれる思いで顔だけは笑みを浮かべている侍女に近付く。
いや、侍女のお怒りももっともなのよ?私は彼女の制止を振り切って危険な場所に飛び込んだ。
そして、私に何かあれば止められなかった周囲の責任となる。
減俸で済めば良い方で、仕事を馘首になるとか、最悪は処刑という可能性だってないわけじゃない。
大変申し訳ないと思ってるけど、同じことがあったら多分またやる。
「それでは第一王子殿下、失礼いたします」
侍女と騎士が兄様に丁寧にお辞儀をする。兄様はそれに頷いて、近くにいた騎士と共に去って行った。
見届けた侍女は大きく息を吐くと、後ろの護衛騎士に私を運ぶように頼む。
「ひとまず戻りましょう。お説教はそれからですよ」
「はあい」
よく見ると、抱えてくれた騎士は避難の時に来てくれた騎士だった。何度もごめんね。
「火事の晩、わたしは本宮に泊まっていて後宮にはいなかった。そういうことになったから」
出し抜けに言われた言葉に目をしばたかせる。
「はあ」
火事の晩から三日程経ったある日の日中、ベッドの上で私は兄様の言葉を聞いていた。
普通ならいくら兄とはいえベッドの上で対応するなど言語道断。ただ、ここ三日ばかり私はベッドの上の住人なので仕方なかったのだ。
あの晩、騎士に抱えられて自室に戻った私は、緊張の糸が切れたせいか自力で立ち上がることが出来なかった。
簡単に言えば、熱を出して倒れた。
流石に幼女の体にはキャパオーバーだったね。
今朝の段階で侍医から外出許可は出ているんだけど、滅多に体調を崩すことのない私を心配して侍女が私をベッドから出そうとしない。
だが、第一王子からのお見舞いとあれば通さないわけにもいかなかったらしい。
お医者様が大丈夫だって言ってるんだからもう普通にお招きして問題ないはずなんだけど。
人払いした部屋の中で放った第一声が先程の台詞である。
「目撃者にもそう言い含めてある。シャーリーもそのつもりでいて」
裏でどんな駆け引きがあったのかは知らないが、そういうことになったらしい。
結構な人数に見られた気がするんだけど、押し通せるのかな。まあいいか。これ以上危険な事案に首を突っ込む必要はあるまい。
「わかりました。えーと、つまりわたくしは、かじのしらせをきいて、おどろいてたおれたということですね」
すごい、話だけ聞くと深窓の令嬢のようだ。いや今は本当にお姫様だから間違っちゃいないか。
「そういうことだ」
「そういえば兄様はあのあと、おからだのちょうしをくずしたりしていませんか?」
「うん、問題ないよ」
見た感じ、いつも通り完璧な王子っぷり。本当に体調は問題ないようで何より。
「いまはどちらにおとまりなのですか?」
「ああ、そういえば言っていなかったな」
兄様は後宮に戻らず、これからは本宮で生活するらしい。
王族男子はある程度の年齢になれば後宮を出て、本宮に自室をもらう。元々移動の話は出ていたのだという。
そろそろ移動する予定だったから、予定を早めて本宮の自室を中心に生活するそうだ。
「そうなのですか。さびしいです」
今までも気軽に会えたわけではないが、後宮の中なので偶然出会うこともあった。
これからは居住空間がさらに離れてしまうので、そういう機会もぐっと減ってしまうだろう。
しょんぼりする私の頭をそっと撫でてくれる兄様は、第一王子だ。
つまり王位継承権第一位の次期国王ということで、本宮に移れば本格的な帝王学の勉強が始まるはず。
私と優雅にお茶してる時間などあるまい。
今までだってなかったんだけどね。私がねじ込んでただけで。
「別にもう会えないわけではないのだから。たまにはお茶に呼んでくれるだろう?」
「およびしてもよろしいのですか?」
「もちろん」
本当だね!?信じるよ兄様!!
「そうだ、遅くなったけどお見舞いに」
お見舞いなら一番にもらったはずだけど?可愛らしいピンクと黄色の花を中心にした花束は、メイドによって部屋の隅に飾られている。
首を傾げた私に、兄様はふふふと微笑んだ。
「喜んでもらえるといいんだけど」
そう言って部屋の外に控えていた侍女を呼ぶ。呼ばれた侍女は一抱え程の何かを持って部屋に入ってきた。
謎の品が一度兄様の手を経由して私に渡る。なんと、手渡されたのは大きめのクマのぬいぐるみだった。
全体的に兄様の瞳のようなチョコレート色で、愛らしくデフォルメされている。前世のぬいぐるみと比べても遜色のない出来だ。
「わあ、かわいい!」
ふかふかの胴体を思わずぎゅっと抱きしめると、ほんのり甘い香りがした。
「ありがとうございます、兄様!うれしいです!」
「うん、良かった」
ものすごーく高級感溢れる手触りでいつまでも触っていたくなる。
お値段が非常に気になったけど、聞いたら怖くて触れなくなりそうなので絶対に聞かない。聞かないぞ。
普通の王女は贈り物の値段なんか気にしないだろうし、それが正解のはず。
というか、五歳の幼女に贈り物の値段を聞かれるってすごく嫌だよね。危なかった。
兄様によると、最近貴族の娘さん達の間で人気がある店のぬいぐるみなんだそうな。
今世に入ってからはこういうタイプのぬいぐるみを見たことがなかったので、てっきり存在しないのかと思っていた。
用意される人形は高級品なんだろうと一目で分かるようなアンティークドールだけなんだよ。
着せ替え人形感覚で気軽に遊ぶのは気が引ける。あと顔が割と怖い。夜中に見たら泣きそう。
「病み上がりにあまり長居するのも悪いから、そろそろ戻るよ」
残念だが引き留めるわけにもいくまい。忙しい中、わざわざ口止めのために本人が来てくれたのだ。
「今度は元気な時に呼んでおくれ」
「はい!」
兄様をベッドの上で見送って、ぬいぐるみを抱え込んだ。うーん、可愛い。しばらくこの子を連れ歩くことにしよう。
これが幼女らしい行動として周囲の使用人達の微笑みと安堵を引き出すことになるのを、この時点の私はまだ知らない。