どうしよう、という言葉だけが脳内でむなしく繰り返される。
夜の帳もとうに下りた時刻。普段なら寝ている時間に、私はだらだらと冷や汗を流しながらベッドの上で固まっていた。
ベッドサイドでひらりひらりと揺れる白いカーテンを背に、黒ずくめの不審人物がこちらを見ている。
暗闇に多少慣れた目でも、相手の年齢性別は分からない。
鼻から口元までを覆う布と髪を押さえる黒布という見事な覆面により、目元しか見えないからだ。
全身これでもかというくらいに黒ずくめで、昼間にこの格好で歩いていたら目立つこと請け合い。 しかし夜に紛れるにはこれ以上ないくらい適した格好だ。
そしてまあご丁寧に右手には月明かりをきらりと反射する小振りな──だが同時に鋭利な短刀が握られている。
どう控えめに見ても暗殺者だった。暗殺者以外の何者にも見えなかった。
認めたくない。認めたくないけど、認めるしかない。私は今絶体絶命である。
確かに神様(自称)は言った。老衰で死ぬ可能性は高くしてやるが、それも自らの選択次第だと。
いやでもね、目の前に暗殺者って選択肢がどうとかいうレベルじゃなくない?早速詰んでるよね?


今度 死因 老衰


目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
ぼんやりとした頭で周囲に目を向けるが、本当に何もない。どこまでいっても白い空間が広がっているだけだ。
天井も床も壁もない。ついでに言えば灯りもない。
白一色なのでどのくらいの奥行きがあるのかすら把握できなかった。
手を伸ばそうとして、ふと思う。手はある。視線を下に向ければ足もある。顔の前に両手を持ってきて、掌を握ったり開いたりしてみた。 特に動きに問題はない。足の方も同様。手足はあるし、ひとまず自らの意思で動くようだ。
着ているのはチューブトップにカーディガン、ジーンズとごく一般的な私の普段着。
自分の様子を一通り確認し終えたので、再度周囲に目をやる。
何一つ音のしない空間だが、耳が痛くなるほどの静寂という感じもしない。 手足を動かした時に衣擦れの音はしたので一切の音がないというわけでもなさそうだ。
特別何かにおいがすることもない。これについては嗅覚が麻痺していなければ、の話だけど。
そんな中で私一人が立っている──いや、床があるわけじゃないから浮かんでいる、かな。
どうしたもんかね。
それにしても何故、私はこんな場所にいるのだろう。
その疑問がようやく浮かんだ瞬間、目の前に人影が現れた。
「やあやあ、おっまたせー」
……軽い。第一声が軽すぎる。
一瞬強張った身体から一気に力が抜けた。
人影はうすぼんやりしていて輪郭がはっきりしていない。声も男女どちらともとれるような音域。
まあようするにアレだ。正体不明の存在ってことだ。
外見のイメージとしては探偵漫画の犯人よりも、某錬金術漫画の真理君の方に近い。
「どこから話そうか、ボクも暇じゃないからね。端的に言っちゃうと、キミは死にました!」
明るく話す内容じゃないよね、それ。ツッコミを入れていいものか迷う。
自分が死んだという実感もわかない。ここにいる前に何をしていたのか、そもそも自分が何者だったのかすら詳しく思い出そうとすると思考に靄がかかったかのように曖昧になる。 真理君とか余計なことは思い浮かぶんだけどね。
それでも今の状況が色々おかしいということだけは分かる。
「原因は事故なんだけど、キミは本当は死ぬ予定じゃなかった。たまたま近くにいたせいで、とある人物に身代わりにされちゃったってわけ」
なんてこった。たまたま身代わりで死ぬなんてとばっちりもいいところじゃないか。
「キミが死ぬのはもっと先の予定だったから、次の受け皿が元の世界に用意できなかったんだよね」
ふむふむ、と話を聞いていたが途中気になる単語があったぞ。「元の世界」という表現がとっても気になるんだけど。
「でも受け皿がないと消えちゃってもったいないし、別の世界の受け皿を用意したよ!わー!」
どんどんぱふぱふ、という効果音が聞こえそうなくらい明るいノリだった。
ちょっと待て、もうどこからツッコめばいいのか分からない。
消えちゃって、って何が。魂とかそういうの?
あともったいないって。そういう感覚で扱うものじゃないよね命って。
ついでに別の世界って。漫画も小説もアニメもそれなりに好きだけど、私は中二病を卒業したつもりなので出来れば遠慮したい。
遠慮したいが──この相手、私の意見なんか聞いてくれないんだろうなあ。
私が一言も発していないのに対して、怒涛のごとく喋り続けている。
「ま、正確にはこれから用意するんだけどね。せっかくだからちょっとくらいキミの希望を取り入れてあげようと思って!」
どうやら多少は私の要望を聞いてくれる気があるらしい。
ちょっとくらい、というのが引っかかるけれど。ちょっとってどのくらい?
「全部は叶えられないかもしれないけど、希望があれば言うだけ言ってみてよ」
そう言って、ようやっと人影は静かになった。私の発言を待っているようだ。
次の生に望むこと、か。とりあえず今思いつくのはこれしかない。
「次の死因は寿命による老衰で!五体満足だとなお嬉しい!」
他人のとばっちりで死ぬなんてこれっきりにしてほしい。次は長生きしたい。天寿を全うして死にたい。 病気・事故・暗殺その他諸々はノーサンキュー。
そんな私の切実な願いを聞いた人影は、困ったように左右に揺れた。
「ええー。それが希望なの?」
「これ以上ないくらい望んでます。ところで、いくつか質問しても良いですか」
「うん?何を聞きたいのかな?」
聞きたいことは多いが、まずはこれだ。
「あなたは何者ですか?」
思いっきり希望を叩きつけておいて今更だが、悪魔との契約とかだったらどうしよう。
欲望のままに要望を叫んだことをちょっと反省している。もう少し冷静になろうよ、私。
「ボク?ボクはキミ達より高次の存在で、キミ達の言葉で表現するならカミサマってやつ」
ほほう、神様とな。
「ボクをどう表現するかは人によるけどね。ボク自身は単なる管理者であり観察者だから」
それって人によっては神様だと思ったり悪魔だと思ったりするってことかな。
その辺りは判断が難しいし、ひとまず重要なのはそこじゃないので流すことにする。
「じゃあ希望を叶えてもらうとして、私は何か対価を払う必要がありますか?」
望みと引き換えに大事なものを失うというのは昔話なんかのセオリーだ。寿命と引き換えに力を得るとか、身体の一部と引き換えに能力を得るとか。 代償を支払えなくて死ぬという場合もあるけど、今の私は既に死んでいるそうなのでそこら辺はなんとも。
「対価ぁ?キミがボクに何を払えるっていうのさ」
「分かりませんが、何かあるのかも、と」
「ないない。例えばキミ、部屋に入ってきた虫を殺すのがかわいそうだから窓から逃がしてやったとして、逃がした虫に見返りなんか期待しないでしょ?」
例えの表現が割と酷いが、この人影にとって私が取るに足りない存在だということは理解した。
御伽噺じゃあるまいし、私だって助けた虫に恩返しは期待しない。
気を取り直して最後の質問を口にした。
「えっと、先程別の世界と言ってたんですけど、元の世界で転生するのは絶対無理ってことですか?」
前の人生の記憶があろうがなかろうが、いや前の記憶があるなら絶対、多少待つんだとしても知らない別世界よりは元の世界で転生したい。
そんな願いもむなしく、自称神様ははっきりきっぱり言い放った。
「無理だね!さっきも言ったけどキミの元の世界で新規の受け皿は用意できない。人間も人間以外もね」
おっと、人間以外に転生する可能性もあったのか。
え、ていうかその別世界の受け皿とやらは人間なの?人間じゃないの?
戸惑う私をよそに、立て板に水とばかりに話し続ける。
「いきなり別世界に放り込むのもかわいそうだからね!本当は希望を聞いてあげるのだって出血大サービスなんだよ?」
左様で。ときに神様って出血するの?
そろそろキャパオーバーでどうでもいい疑問が浮かぶ。
いやでも種族は結構重要だよね。迫害される少数種族とかはつらいもんな。 まあ希少種が統治しているという可能性もあるし、数が全てじゃないのはどこの世界でも一緒かもしれない。 しかし次の世界がどんな感じなのか分からないので、私は大多数に所属していたい。寄らば大樹の陰。
「何度も言うようだけど、ボクも暇じゃないんだ。さっさと次の希望を言ってくれる?」
「うーん、それならその世界で一番一般的な知性のある種族にしてほしいです」
「人間だね。他は?」
あ、人間が一般的な世界なのね。他の種族がいるのかどうかすら分からないけど、今は分からなくても困らない。
他……他かあ……。
「他は……特にないです」
神様とやらにお願いしたいのは寿命だけなので、そこだけは本当に叶えて欲しい。
「ええー、それだけ?優れた容姿が欲しいとか、特別な力が欲しいとかないわけ?」
「いやぁ、出来ればのんびり過ごしたいので普通が良いんですけど」
優れた容姿や特別な力があったとしても、持っているのが私な段階で宝の持ち腐れにしかなるまい。むしろ扱いきれずに自滅する可能性が高そうだ。
「のんびり普通ねえ」
そんな不服そうに言われても困る。いいじゃないか、のんびりした生活を求めたって。皆が世界の中心に立ちたいわけじゃないんだよ。 私は世間の片隅でひっそり生きていきたいタイプなんだ。
「ふーん、ま、いいか!じゃ、キミがのんびり暮らせるような場所にしておくよ。ただ、寿命については絶対とは言えないから!」
「えっ!」
駄目なの!?先に言ってよ!
「一応寿命で死ぬ確率は高くしてあげるけど、それもキミの選択次第だね!」
選択次第ではうっかり死んじゃうってこと!?
確認のために声をあげようとするも、人影の流れるような言葉は止まらない。
「老衰で死ぬ可能性の高そうな場所にはしておくし、キミの記憶は適当な時期に思い出すようにしてあげるから、後は自分で頑張ってよね!」
なんか丸投げされた感が半端ない。
「ちょっ!」
視界が歪み、人影は掻き消える。どこかに投げ出されるような浮遊感と共に、私の意識もぷっつり途絶えた。


以上、回想終了。
とまあこんなわけで、私は神様と出会って転生させられちゃったよ、というラノベのような体験をすることになったのである。あいたたた。
よくよく思い返してみると、なんという押しの強さと押し付けがましさ!まあでも神様ってそういうもんだよね。納得。
現実逃避に回想シーンなんか入れてみたが、現状は何一つ変わっていない。
無言の暗殺者と無言の私。どうしよう。
いや待て私。落ち着け、冷静になれ。
相手は王宮にまで忍び込めるような凄腕の暗殺者だ。王宮の警備がすっかすか、という可能性もあるけどそれはないと信じたい。 金城湯池とは言わないまでも、ごく一般的な警備体制は敷いているはずだ。 ともかく、こんな所にもぐりこめる暗殺者が、ただの幼女である私に発見されて何も行動を起こさないというのはおかしい。
私を殺すという依頼が入っていたなら、私が起きる前にさっさと始末していたはず。ということは私の暗殺が目的ではない、と思う。 何が目的か全く分からないから安心は出来ないけども。
私はベッドの上で硬直したまま、暗殺者に観察され続けている。
こういう時はどういう反応を返すのが正解なんだろう。
斬新なファッションですね、なんて軽口をたたいた日には首から上が胴体と泣き別れするのが目に見えている。
だ、誰か私に正解を!
と祈ったところで正解が浮かぶわけでもない。結局出てきたのはありふれた挨拶だった。
「……ごきげんよう?」
控えの間にいる護衛に聞こえない程度に声を抑えてはいるものの、相手にはちゃんと聞こえたようだ。
こちらを観察していた目がすうっと細まった。
こっわい!選択を間違えたか!?
戦々恐々とする私に興味をなくしたかのように、暗殺者はふいっと背を向けて開け放たれていた窓から出て行った。
た、助かった……?
知らずに止めていた息を大きく吐き出す。そのまま数回深呼吸をくり返し、ようやく落ち着いて状況を把握できるようになった。
体感時間は長く感じたが、実際のところ数分にも満たなかったに違いない。
開け放したままの窓から夜風が入る。
寝る前には閉めていたはずなので、あの暗殺者は外から窓を開けて入ってきたのだろう。
この部屋の窓は厳重に鍵がかかってるわけじゃなく簡単な掛け金のみで、道具を使えば外から開けるのもそう難しくない。 が、ここ三階なんだけど。身体能力高いっすね。
起き出して確認する気力もないし、窓は朝まで開けたままにしちゃえ。 窓を閉めた所で、先程の暗殺者が戻ってくれば掛け金しかないこの窓の作りじゃ同じように開けられちゃうからね。
侵入者が出て行ったにも関わらず、外は特に騒ぎが起きている気配もない。 警備の騎士に見つかることなく脱出したのか、どこか近くに潜んでいるのか。
なんにせよ起きた途端に暗殺者、なんていうとんでも体験はこれっきりにしてほしいよ本当に。
短時間の出来事だったが一気に疲れた。癒しが欲しい。
そうだ、兄様にいさまに会おう。
会おうと思ってすぐに会える相手ではないが、朝になったら打診してみようと心に決めて目を閉じた。

 

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