恐怖のお茶会〜the song of aquatic nymph〜 4
「それで、どこまで送りましょうか?」
黄竜亭を出たエセルとサポディラは街の中央通りに来ていた。今日は風の日ということもあって人が多い。子供達が走り回っていたり、吟遊詩人が街角で謡っていたりする光景が色々な場所で見られた。
学院や研究院は一週間のうち、風の日が半休日、エーテルの日は全休日としている。その他の公共施設もこれに準じている場合が多い。ガイアスでは風とエーテルの日は朝市も行われず、営業しているのは飲食店や商店、宿泊所などのサービス業や一部の主要機関のみとなっている。
今日は学院の授業が予定より早く終わったから空き時間を利用してラーイに会いに行ったのだが、本来的にはこの後は王宮に行かなくてはならない。そう考えると王宮に向かうべきなのだけれど……。
「ええっと、魔術学院まで……」
王宮にサポディラを連れては行けない。一緒にいると忘れがちになるが、サポディラも七賢者の一人だ。しかも、まだ王宮に報告をしていない。
本人が報告に行かないのだから、王宮まで一緒に行くことは出来ないだろう。そうでなくとも王宮まで送ってもらうというのは論外だ。考えて、途中にある『黄』を指定することにした。あそこならば、目印としても分かりやすい。
「分かりました。『黄』までですね」
特に疑問を差し挟むこともなくサポディラは頷き、エセルと共に歩き始めた。
「でも、あの、いいんですか?」
「何がです?」
エセルは躊躇いがちに口を開く。
「送ってくださるのは嬉しいんですけど、急いで戻らないとお一人で正座をすることになるのでは……」
『黄』までの往復にそんなに時間がかかるとも思えないが、一人だけ遅れて正座をすることになるのではないだろうか。
そんな心配をするエセルをサポディラは好ましそうに見つめた。
「心配してくださってありがとうございます。でも、多分一人で正座をすることにはならないので大丈夫ですよ」
苦笑いとともに続ける。
「あの二人のことですからねえ……。私が戻った頃には更に2,3時間追加されていると思いますよ」
「えっと……、随分よくご存知なんですね」
エセルの言葉に、あはははは、と乾いた笑い声が返された。
「そうですねえ」
目を瞬かせたエセルに対し、ゆっくりとした口調で視線を前に向ける。
「ライムトーリ君はともかく、セイクリードとは長い付き合いですから」
“木”の賢者サポディラは、クルアーン、セイクリードに次いで在位の長い賢者だ。
当然、嫌でも付き合いができる。その長い付き合いの中で知ったことは少なくない。例えばセイクリードの性格や、クルアーンの忍耐の限界などなど。
考えるだけで胃が締め付けられるような気分になった。セイクリードだけでも問題があるのに、今はライムトーリが加わっている。頭の痛くなるような話だった。
知らないフリをするのも一つの手ではある。
しかし、不幸なことにそこで知らないフリを通せるほど強心臓でないのは彼自身が一番よく分かっていた。
思わず遠い目をしてため息を吐く。
彼の内心など知りようもないエセルですら、なんとなくそのため息の重さだけは理解できる気がした。
二人並んで、しばらくとりとめのない会話をしながら通りを歩く。
しばらくすると、エセルの通う中央の学院『黄』が見えてきた。
その名にちなんだクリーム色の外観の大きな建物だ。『黄』の隣にはサラの通う王立研究院があり、二つの建物の敷地を合わせると相当な広さを誇っている。
ここまで来れば、王宮まではさほどかからずに着ける。礼を言って別れようとすると、サポディラから呼びかけられた。
「あの、グリーブさん……」
「エセルで結構ですよ。……何でしょう?」
青髪の賢者は一瞬言いよどみ、それでも口を開く。
「あの子――ライムトーリ君と仲良くしてやってください。私がこんなことをお願いするのは、いささか筋違いかと思うのですが……」
脳裏に七年前、そして五年前の光景がまざまざと蘇る。
七年前、普通に――本当に普通の生活をしていた少年を新たな七賢者の候補として迎えに行ったのは、前代の“風”の賢者とサポディラであった。
そして、五年前の“風”の賢者の交代劇にも立ち会っている。
様々な想いが胸を過ぎった。だがその想いは表に出さずに、目の前の女性に笑いかける。
何も知らないエセルは、それに応えて微笑んだ。
「はい。わたし、ラーイとは仲良くやっていけると思います」
嬉しそうに言われた言葉に破顔する。
二人はそこで別れ、サポディラは来た道を戻っていった。
ちなみに、余談ではあるが……。
サポディラが宿の部屋に戻った時、ラーイとセイクリードの正座の時間は元の時間より2時間ほど増えていた。
火の宮も第3週となると、季節は一気に夏らしく暑くなる。
それでも今日は珍しく涼しい風が吹いていて屋外でも過ごしやすい日であった。
相変わらず屋上で寝ていたサラは、目覚めた際に何か違和感があることに気付いた。何だろう……と寝起きの頭で考えて、違和感の原因は自らの体勢にあるのだという結論に至る。
屋上の鉄柵が横に見えているのだ。しかも、体の右半分が微妙に痛い。
その割に頭の位置がそれほど低くなっていないのは、何かが頭の下にあるからだ。ありがとう、何か……と考えかけ、そうじゃないだろうと思い直す。
ちょっと待て。
上着は左手が持っているし、今日は本など枕に出来るものは持ってきていない。
では、今頭の下にあるのは一体何だ?
一瞬にして覚醒し、慌てて跳ね起きた。先刻まで自分の頭があった場所を見る。
サラは無意識のうちに顔を顰めていた。一人の青年が柵に背を預け、片足を立てた体制で寝ている。サラが枕にしていたのは青年の足だった。
灰銀色の短髪に見覚えがある。以前、屋上で見かけた青年だ。屋上で人に会うのは珍しいため、記憶に残っていた。
あらためて観察すると、どこか精悍さを感じさせる整った顔立ちをしている。かなり鍛えられていそうな体躯で、白の長衣と灰色のズボンというごく一般的な格好でも引き締まっているのが分かる。今は座っているから正確なところは分からないが、サラよりも身長は高いだろう。
サラの中の何かが警鐘を鳴らした。青年を起こさないように注意を払って立ち上がる。彼女の勘が、一刻も早くここから離れるべきだと告げていた。
しかし、現実は得てして悪い方に転ぶ。
立ち去ろうとした瞬間、くだんの青年が目を開けた。鬱金色の瞳が、立ち上がったサラをゆっくりと見上げる。
「……なんだ、起きたのか」
青年の第一声に、サラはなんとも言えない表情をした。
低く、少しだけ掠れたような声だ。どことなく危険そうな雰囲気をかもし出しているけれど、大抵の女性は彼の外見を魅力的だと判断するだろう。けれど、今のサラにはとてもそうは思えそうになかった。
無言のまま自分を睨むような目つきで見ているサラを、青年は面白そうに見遣る。
「どうした?」
光に当たると黄色を帯びて見える明灰色の瞳がきらりと光った。
「もしかすると、あなたがこの上着の持ち主?」
青年の目を真っ直ぐに見て尋ねた。同時に、左手に持っていた黒い上着を相手の目の前に突きつける。
「それは確かに俺のものだが……」
では、この青年がジン=アッシュールなのだ。
だからどうした、とでも言いたげな青年に、サラはすっと目を細める。
「それなら、どうする?」
青年は明らかにサラがどういった反応をするか様子を見て楽しんでいた。
深く、息を吸う。
「上着をかけてくれたことにはお礼を言います。あと、膝を貸してくれたことにも。それじゃあ!」
一息に言い放った。勢いのまま、青年に多少手荒く上着を返す。
そうして、後ろを向き悠然と歩き去った。薄い金色の髪が風にあおられてさらさらと靡く。
バタン、と大きな音をさせて、扉が閉められた。
後に残された青年──ジンは呆気に取られたかのように後姿を見送っていた。
視線を彼女のいた場所に戻し、ふっと笑う。そこには、彼女の物と思しき身分証が忘れられていた。何の気なしに、身分証を拾って名前を見る。
『3−A サラスヴァーテ=L=フェイテス』
掌に収まるくらいの白いカードに金字でそう印刷してあった。その名前にはジンも聞き覚えがある。
「へえ、あれが……、ね」
奇人、とも奇才、とも称される人物だ。研究院では珍しい、髪の長い──魔力を持つ者。その中でも一際変わっているという噂だ。
今の一連の行動に、なるほどと納得できる。
おそらく、自分のことは知っているだろうに。久し振りに面白い反応だった。
サラの反応を今一度思い返し、ジンは思わず笑い出した。抑えきれない声が響く。
楽しげな笑い声は誰も聞く者のない屋上で、風に流されて消えていった。
人の霊は
水にも似たるかな。
空より来たり、
空へ昇る。
再びくだっては
大地にもどり、
永久に変わりてやまず。
(ゲーテ)
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