「ラ、ラーイ……?」
エセルの声に反応してラーイが顔を向ける。その髪の色が変わっていた。
平凡な黒髪から、鮮やかなコバルトグリーンへと。
髪の変化に伴って、瞳の色も変化する。
エセルははっと息を呑んだ。
ラーイの今の瞳の色はマラカイトグリーン。
本来ならばありえない、“風”の元素の色だったのだ。
「う……そ……」
例え風の元素に縁があっても、普通はこんなにもはっきりとした色が出ることはない。
これほど鮮やかな緑が出るということは、つまり。
「“風”の賢者様……?」
呟く声は我知らずかすれていた。
思わずクルアーンを見る。殴った当人は当然のことながら驚いてはいない。
驚愕するエセルの視線に気付くと、「そういうことなんです」と一言だけ言った。まるで何でもないことであるかのように。
今のエセルに気付く余地はないが、少し楽しんでいるようでもあった。
そしてラーイに向かって呆れてみせる。
「お前が何も見ていないようだったからな」
「何だよ、それっ!」
クルアーンはエセルの方を──正確にはエセルの手を見た。
つられてエセルも胸の前で握っていた自分の手を見る。
右手の中指に、ラウルからもらった指輪が光っていた。
ラーイも指輪に気付いたらしく「あっ!」と声を上げる。
「じゃあエセルって王宮の人だったんだ……」
小声で言った。
その台詞にエセルも驚く。この指輪の事を知っているということはただ者ではない。
もちろん“風”の賢者と旅をしているくらいなのだから一般人ではないのだろうが……。
目の前のこの人物は一体何者なのか。
疑問に思っていると、本人から答えを聞かされた。
「俺は“エーテル”ですよ」
軽く頭を振ると色彩が変わる。
きらきらと光っていた黒髪は眩いばかりの銀髪に。
濃い紫だった瞳の色は薄い紫がかった銀色に。
銀──それはまさしくエーテルの色だった。
ここに至ってようやくエセルは王宮内で聞いた噂話を思い出す。
“エーテル”の賢者クルアーンが、前代の“風”の賢者の遺言により新しい“風”の賢者ライムトーリと共に各地を旅しているらしい。
聞いた時は特に気に留めていなかった。よくある噂のひとつに過ぎないと思っていたのに。
それがまさかこんな所で実物に会うことになろうとは考えてもみなかった。
そしてまた、クルアーンが二つしか名を持たないのか、もしくは名乗らないのか、という疑問の答えもおのずと知れた。賢者は世界に対して中立であるためにそれまでの家族性を捨て、新たな呼び名をつけるのだ。よって、二つしか名を持っていないのである。
現在の“エーテル”の賢者が王族出身であるというのはよく知られた話だ。名前が「ン」で終わっていてもおかしくはない。
全ての疑問が氷解したエセルは、改めて自己紹介をした。
「クルアーン様、ライムトーリ様。知らぬ事とはいえ、今までの非礼をお許しください。わたくしの名はエステル=ユノ=グリーブと申します。師である元老院議員イグレーヌの命により、賢者の皆様方のお世話を申し付かりました。至らぬ身ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。何かご用命があおりの際は、遠慮なくお申し付けください」
正式名称と共にこれまた正式な礼をする。
エセルは普段セカンドネームを名乗らない事が多い。自らが貴族であると知らせるつもりがないためだが、今回は別だ。王宮からの正式な任命である。
言葉遣いも態度も改めたエセルを見て、ラーイがぼそぼそと言った。
「そんなにかしこまらないでよ。こうなるから嫌だったのに……クルーの馬鹿」
後半は自分の正体を明かしたクルアーンに対する愚痴である。
クルアーンはラーイの言葉を綺麗に無視してエセルに話しかけた。
「では、俺達のことは王宮にはまだ報告しないでください」
エセルは不思議に思いつつも、何か理由があるのだろうと疑問を封じる。自分は質問して良い立場ではない。
「はい、承知いたしました」
「それと」
一旦言葉を区切り、拗ねているラーイをちらりと見遣る。
「ライムトーリが嫌がりますので、態度を戻していただけるとありがたい」
「えっ!」
驚いて顔をまじまじと眺めるラーイに、クルアーンは苦笑した。
「これでいいんだろう?」
そのやりとりを見て、エセルは笑いながら言う。
「わかりました。普段はそうさせていただきます。でも公式の場では我慢してね、ラーイ」
ラーイは破顔して頷いた。
やはり、こちらの方が断然良い。
「ありがと、クルー」
滅多に聞くことのない素直な感謝の言葉にクルアーンは内心少し驚いて、ほんのわずかだけれど微笑んだ。