衝撃の事実〜a shocking remark〜 1
男が少年に向かって走る!
急いで止めなければ、とエセルは焦った。
片手が荷物でふさがっているのは痛い。が、そんな事は言っていられない。
咄嗟に空いている方の手──右手で片手印を結び、ブーツの踵で石畳を蹴る。
カツン、と音が鳴った次の瞬間、男の頭上から少量──バケツ1杯分くらいだろうか──の水が男に向かって降り注ぐ。
男は立ち止まり、呆気に取られた様に辺りと自分の姿を見回した。
助けられたはずの少年は怒った、というより不機嫌そうな表情をして後ろを振り向く。
他の見物人達は何が起こったのか分からずにざわついた。
まあ、自分がやったとバレないようにエセルは声を出さなかったのだが。
少年はエセルがやったと確信しているらしく、視線を外そうとしない。
これ以上騒ぎを大きくしたくなかったし、ましてやその話題の中心になんかなりたくもなかったエセルは急いで回れ右をして人ごみから抜け出した。
サラならばここで男に啖呵を切る所だが、エセルにはそうするだけの威勢のよさはない。
小走りで先程の現場から離れる。
しばらくして、ここまで来てしまえば問題ないだろうと一息ついた。だが。
「ねぇ、アンタ」
跳ねる様に振り返った先に黒髪の少年が居た。
勿論、さっき男と騒動を起こしていた少年だ。
走ってきたらしく、少し息を切らせている。
しかし、どうしてここに?
その思いが顔に出ていたらしく、少年はエセルを見て小馬鹿にした風に笑った。
「何でオレが追いかけて来てるのかって顔だね。教えてあげようか」
一応問いかけの形になっているが、エセルの返事を期待している訳ではない様だ。
すぐにこう続けた。
「アンタがさっきのを止めたからだよ」
やはりこの少年にはエセルが仲裁として水をかけたのがバレていたらしい。
エセルの動きをじっと見ていたのならともかく、背を向けていたのにもかかわらず分かったのは、この少年が只者ではないということだ。
エセルは少し微笑む。
「じゃあ、止めない方が良かったのね。ごめんなさい」
あっさりと謝ったエセルに少年は調子を崩されたらしく、何とも言えない顔をした。
「それ、本気で言ってるの?」
訊かれて首を傾げる。見た目通りの少年でないのなら、あのやりとりにも何か意味があったのだろうと思っただけなのだが。
その様子を見て、少年は弾ける様に笑い出した。
「あはははは!アンタ面白いっ!いいね、気に入った」
見ず知らずの少年にいきなりそんな事を言われ、エセルは困った様に微笑む。
笑うのをやめた少年はそんなエセルに向かって堂々と名乗った。
「オレはライムトーリ。ラーイでいいよ」
どこかで微かに聞き覚えのある名前のような気がした。けれど特に思い当たる節もない。
「わたしはエセル。エステル=グリーブよ」
「ふぅん。エセル、ね」
ラーイはニヤッと笑う。いたずらっぽい笑みだ。
「助けてほしいなんて言ってないし、助けてくれなくて全然かまわなかったけど、一応ありがと」
言って、少し思案する。
「ねぇ、この辺に公園とかない?」
「あるわよ、大きな公園が」
でも、それが何か?
エセルはまたまた首を傾げた。
「じゃあさ、案内してくんない?オレこの
都市
まち
初めてでさ。よく道が分からないんだよね」
「ええ、いいわよ。こっち、ついてきて」
しばらく歩いて大きな公園に着くと、少年は「へぇ」と感心した。
本当に広い。公園というよりは広場である。ラーイは知らなかったが、ここは
太陽神
ソル
の広場という市民の憩いの場であった。
緑が多く、それに比べて人はあまり多くない。
二人は近くのベンチに腰掛けた。
暖かな春の風が二人の髪を揺らす。
「ここはいい風が吹くね」
ラーイが目を細める。エセルはそんなラーイを見て尋ねた。
「ラーイはどこから来たの?名前からするとサラマンディーみたいだけど……」
名前は出身国によって最後の文字の母音が決まる。
ドリューアは「ア」音、サラマンディーなら「イ」音、という風だ。
エセル──エステルは最後の文字が「ル」でウ音だからクロヌス、サラはサラスヴァーテで「テ」だからワルキリエ出身、という具合である。
この基準で判断すればラーイはサラマンディーの出身だと推測できるのだが。
「でも、髪も目も黒っぽいでしょう?」
髪の色は出生国に影響を受ける。大抵の場合、生まれた国か、その隣国の色が混ざっていることが多い。
瞳の色は、その人物の魔力の属性を示す。こちらも生国か、その隣国の色が現れる。ただし、こちらは髪の色よりも多彩である。
例えばエセルの琥珀色の瞳なら、土気の黄色と火気の赤、それにほんの少し金気の白が合わさっているので、“土”と“火”、“金”という属性の魔法が使えるということになる。
ちなみに、魔力は生まれた月日にも関係する。
エセルの誕生日は木の宮第2水の日。
よって、さらに“木”と“水”の力も少しだが使うことが出来る。
ただし、この属性と色の関係には例外がある。
“風”を表す緑色と、“エーテル”を表す銀色だ。
この色彩は特殊であり、よほど風、あるいはエーテルに縁がある者でない限り、基本的に形質として現れることはない。
話を元に戻すと、ラーイの持つ色彩は黒が多く見える。
黒は“水”気、つまりナイアドの色だ。
ワルキリエやドリューアならばありえないこともないが、サラマンディーではかなり珍しい部類だろう。
「サラマンディーだよ。生まれはね」
ラーイは軽く肩をすくめた。
「この色はちょっと事情があってさ」
「……そうなの」
それ以上聞くことはしない。初対面の人間に深いところまで聞くのは不躾だ。
ラーイはクッと笑う。あまり年齢相応の笑い方ではない。
「やっぱりアンタ、面白いよ」
「そうかしら?ありがとう」
褒められたようなのでそう言って微笑んだ。黒髪の少年は視線を外す。
「……オレはさ、この国には保護者代わりの
男
ヤツ
と来たんだ」
「二人だけで?」
「そう、二人で」
空を見上げながらラーイが頷く。
5年前にラーイを保護してくれていた人が亡くなって、それからずっと一緒に旅をしているのだそうだ。
その人の名前はクルーというらしい。
「クルーはさ、かなり厳しいんだよね。お堅いだけって説もあるけど。付き合いの長い人に言わせると『自分にも他人にも厳しいけど、やればやっただけ認めてくれる』ってさ」
口調だけ聞くとけなしている様にも聞こえるが、表情はかなり真剣だ。
よっぽどそのクルーという人物を信頼しているのだとエセルは思った。
本人に言うときっと否定するであろうことが容易に予測できたので口には出さなかったが。
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