1.リナクス
「昨日のソラリス様の演奏、凄かったわよね」
廊下からそんな声が聞こえてきて、リナクスは動きを止めた。姿が見えないことなど承知しているが、思わず声の方向に視線を向けてしまう。
閑静な図書室はリナクスの気に入っている場所のひとつで、今も本を探しに来たところだった。
換気のために開いている扉の隙間から、女官達の楽しげな会話が響く。
「そう、宮廷楽団にだって引けを取らないほどの腕前!それにあの容姿でしょう!」
「あの神秘的な紫の瞳に見つめられたら、思わず何でも言うことを聞きたくなっちゃうのよね」
「お召し物だって、お美しいったら!」
話題にのぼっているのはリナクスの妹だ。
紫がかった黒い髪に、大きな紫の瞳を持つ美しい少女。
吟遊詩人がこぞって褒め称えるような母譲りの容貌は、年を追うごとに輝きを増していた。
加えて彼女は芸術に秀でており、ひとたび演奏すれば聞く者全てを虜にする。
「きっとお母上に似られたのね」
「まさに王女!ってイメージにぴったり」
弾んだ声が遠ざかっていく。大きく息を吐いて、探していた本を手に取った。それを横にあった机に置いて窓の外を見る。
「王女、か」
英雄王と称される偉大な父の名に恥じないよう、学業も武芸も努力してきた。
けれど人はもしかしたらそんなことを求めてはいなかったのかもしれないと、近頃よく思う。
王女らしく手芸に励んだり、詩集を読んだり、そういうことを期待されていたのだろうか。
陰鬱とした空気を払拭したくて、窓を開け放つ。
「わたしは、何か間違っていたのかな…」
見下ろせば、中庭に接した訓練場で一兵卒に混じって剣を振るう弟の姿があった。
2.アイクス
「おい、見ろよ、あれ」
近くにいた訓練中の兵士が顔を上げて、横にいた別の兵士に声をかける。
自らに話しかけられた訳ではないが、なんとなく気になったアイクスは兵士達の視線を追った。
明るい灰色の石造りの城、その3階部分の窓の一つが開いており、一人の女性が立っている。
風に長い黒髪が揺らされ、それを厭うたようにふいっと室内に消えた。
「リナクス様だ。いい目の保養になったな」
「あぁ、なかなかお目にかかれる機会なんてないからな」
嬉しそうな兵士達を横目に、アイクスは再度剣を振るい始める。
先程見えた影はアイクスの姉のリナクスだ。
凛とした美人で、おまけに頭脳明晰、武術のたしなみもある。たまに訓練場に視察に来ることもあった。
そのせいなのか、若い兵士達には人気が高い。
「あの若さで政治学の教師と対等に渡り合ったとか」
「槍を使わせてもかなりのものらしいぜ。見てみたいな」
「あれぞ『英雄王の娘』って感じだよな」
英雄王の子、として人々は彼女を褒め称える。彼女こそまさに英雄王の子として相応しい、と。
確かに姉は文武両道という言葉がぴったり当てはまる。
今でこそあまり手合わせをしなくなったが、彼女との訓練ではほとんど勝った記憶がない。
訓練どころか、学問でもあの姉の優秀さに舌を巻く事しか出来ない。それくらい、完璧に見えるのだ。
そこまで考えて大きく息を吐いた。集中が切れていて、既に訓練どころではない。
自室に戻ろうとする直前、不意に心地よい旋律が流れていたことに気づいた。
3.ソラリス
「あら、アイクス様がまた訓練をなさってるわ」
横笛の演奏中、若い女官の声が聞こえ、ソラリスは耳を傾けた。
「身分が高い方なのに、一兵卒に混ざって訓練なさっているなんて、素敵よねぇ」
「そうそう、偉ぶったところも全然ないし、いつでもストイックに訓練に打ち込んでらっしゃるの」
「他の貴族の坊ちゃんにも見習って欲しいわ」
静かに笛を置いて立ち上がる。窓から見える訓練場では兄のアイクスがちょうど訓練をやめて立ち去るところだった。
黒い短髪に紅い瞳、顔立ちも父に似ている。
愛想が良いとはお世辞にも言えないが、誠実な人柄でどこか人を惹き付けるものがあった。
父の様な圧倒的な求心力はなくとも、兄の為に国を支えるつもりだという臣下を何人も知っている。
さらに努力をおこたらずいつでも上を目指す兄は、女官達の密かな憧れらしかった。
英雄王の息子として、偉大な父、そして優秀な姉と比較されつつも腐ることなく努力を続ける大変さは、ソラリスにもよく分かる。
ソラリスは女であることを理由に、逃げてしまったから。
けれどきっと、自分が男であってもその重圧に耐え切れなかっただろうと思う。
見えない期待にがんじがらめに縛られて、それでも上を目指すだけの強さは自分にはない。
上の二人は父王によく似ていたが、ソラリスは母に似ているともっぱらの評判だった。
顔の造作もそうだが、なにより「女性らしい」ところがそっくりだ、と。
言われる様に振る舞っていたけれど、中にはあの父の娘らしくない、と言う人々も少なからずいた。
「だって、わたくしはあんな風にはなれない」
どうすれば良かったのか。答えのでない問いに、瞼を閉じて息を吐いた。