その日は、とても明るい朝だった。いささか、眩しすぎるほど。
その眩しさが、諦めるきっかけになったのかもしれない。
なにかに縋り付いて事態が変わるというのなら、喜んでそうしただろう。
くだらないプライドなど、今は必要がないのだから。
殺生丸の目の前には、一人の少女が横たわっていた。
少女は今まさに死の淵に瀕している。
閉じられていた瞼がゆっくりと開いて、黒い瞳が殺生丸の姿を映した。
「…殺生丸さま……」
りんは小さな声で呼びかけ、手を伸ばす。そうして、そっと殺生丸の指先に触れた。
そのまま、冷たい指をぎゅっと握りしめる。
ふわり、と微笑った表情はいつもと同じはずなのに、どこか悲しげに見えた。
殺生丸は何も言わない。あるいは、言えないのか。
どちらでもあり、どちらでもなかったかもしれない。
どちらにしろ、たいしてかわりはなかった。
少女が殺生丸のもとに居た時から──いや、この少女を天生牙で救った時から、いずれこんな時が来る事は分かり切っていたはずだ。
生きる世界が違う。生きる時間が違う。それでも短い時を共に過ごした。
りんには、何も言わない殺生丸が…いつもと変わらぬ無表情なはずの殺生丸が、泣いている様に見えた。
そんな事、あるわけないのに。
でも、ひどく頼りなさそうにさえ思えた。そんな事は初めてだった。
いつも、守ってもらっていたから。
上半身だけを起こす。たったそれだけの作業にすら、身体が悲鳴をあげる。
それを故意に無視して、殺生丸にもたれかかる。
待って。せめてもう少し。ほんの少しで良いから、りんに時間をちょうだい、神様。
触れている冷たい指先を、温めてあげたい。
ああ、けれど。
「ごめんね、殺生丸さま…。りんはもういかなくちゃ…」
陽の光に反射する綺麗な銀の髪が、さらりと揺れた。
このまま世界が止まってしまえばいい。
そう思ったのは、いったいどちらか。でも時間が止まるはずもなくて。
入り込んだ風が虚しい願いすら溶かしてしまう気がした。
何かを言いたかったはずなのに、ひどく喉が渇いている。
りんは殺生丸の顔を見上げた。
この先、この妖はどうやって生きてゆくのだろう。
振り向かない強さが、今は少し寂しい。自分の事も、いつか忘れ去ってしまうのだろうか。
それでも良いか、とりんは思う。
忘れられるのは寂しい事だけれど、もう道が交わる事がないのならば、忘れた方が幸せなのかもしれない。
「今までありがとう、殺生丸さま……」
小さな命が、散った。
今まで毒の爪で幾人も死に追いやったこの指を握ったまま。
目覚める度に、声を、匂いを探している。だが、求める者は既に居ない。
それなのに、世界は何一つ変わらない。
あの少女が愛した世界は、美しいままで。
寂寥感が、胸にもたげる。馬鹿らしい、と一笑出来ればどんなにか楽だろう。
それでも今一度会いたいと願う自分がいる。
少女が居た記憶が、消える事はない。
小さな命は、散ってしまったのだ。自分を残して。
冷たい指を握りしめて、何を思っていたのだろう。何を思って、笑っていたのだろう。
今となっては、分からないけれど。
眩しすぎる朝がそっと幕を引いた。