昔馴染みと私

「カトリーナ・フェアクロフ?」
放課後、廊下を歩いていると不意に声を掛けられた。
「はい?」
顔を向けるとそこには見覚えのない男子生徒が一人。マントの色が青ということは、兄と同じ2年生だ。
ややクセのある金茶色の髪の青年は、無遠慮にこちらをじろじろと眺めてきた。兄の関係で、たまにこういうことがある。 あのギデオン・フェアクロフの妹というのがどんなものなのか見てやろうという輩だ。見ず知らずの人間に対して失礼だと思わないのか。
そんなことを考えつつこちらが口を開くより先に、青年がにやりと口の端を上げた。
「久しぶりだな」
おや、知り合いだったか?慌てて青年をよく観察する。
つり上がり気味の眼や口元のせいだろう、不敵な表情がたいそう似合っていた。 兄よりも甘さのない美青年とでも言えばいいか。さぞかしお嬢さん方に人気がありそうだ。 身長はおそらく兄より少し高い。
まずい、分からない。
そもそも私の直接の知り合いに2年生の男子生徒はほぼいないはずである。 兄が私に友人を紹介してくれることは滅多にないけれど、それは友人が全くいないという理由ではないので兄の友人もしくは知人という可能性もある。 ただ、久しぶりという発言から察するに、相手は私と会ったことがあると確信しているようだ。
さて困った。記憶力はそう悪くないと自負しているのだが、思い当たる相手がいない。
相手の群青色の瞳に不審の色が出る前に、ひとまず場つなぎに「お久しぶりでございます」と丁寧に言っておく。
しかし相手は何やら奇妙なモノを見るような目をした。対応を間違ったようである。
「おまえ……俺が誰か分かってないな?」
はい、その通りです。
とも言えず誤魔化すように曖昧に笑った。流石にはっきりと肯定は出来ない。
「ええと……」
青年は大きな溜め息と共に頭を振った。
「ヴィクターだ。ヴィクター・オーエン。これで分からないとか言うなよ」
ヴィクター・オーエン。
オーエンということは父の友人であるオーエン侯爵の縁戚か。 そういえば昔、オーエン侯爵が兄と同い年だからといって息子を連れて何度か遊びにきたことがあった。 さらにいえば兄が中等部に入学したばかりの頃、昔会ったオーエン侯爵の息子が同学年にいると手紙に書いてきたような気がする。 その息子の名がヴィクターだった……かもしれない。
生憎と会ったのが昔すぎて顔も名前も記憶が薄い。
ほら、この年頃は数年会わないだけで印象が変わるから、と脳内で誰に向けたものか分からない言い訳をした。
遊びに来ていたのは本当に幼い頃だったし、オーエン侯爵の息子が学院の初等部に入学してからはおそらく一度も会っていないはずだ。 もしかすると中等部の行事ですれ違ったことくらいはあるかもしれないが。 中等部までは校舎が男女別だったため、同学年の男子生徒すら全員完璧に覚えているとは言い難い。 ましてや他学年など言わずもがな。 女子生徒ならともかく、男子生徒は相当有名じゃないと顔と名前など一致していない。
「ヴィクター様でしたか。すみません、直接会うのが随分と久しぶりだったもので」
「そうだな。だが、おまえはあまり変わらないようだ」
誉められているのか貶されているのか分からない。ここは軽く流しておこう。藪蛇は避けたい。
「そうでしょうか。ヴィクター様は大人びて素敵になりましたわ」
「そうか?」
私の投げやり……もとい適切な誉め言葉にまんざらでもない様子のヴィクターに、笑顔で頷いておいた。 リップサービスはタダである。
個人の好みはさておくとしても、ヴィクターは美形だ。こう言っておけば角は立つまい。
「それで、私に何かご用でしたか?」
「あー、いや、ギデオンからおまえが高等部に入学したことを聞いたからな」
どうやらヴィクターは兄とも話をしているらしい。
ストーカー幽霊にもめげず話しかけているのか、ストーカー幽霊の威嚇の対象外なのか。 兄と話している姿は近年見たことがないけれど、おそらくヴィクターは後者だろうと予想はつく。
老若男女問わず威嚇するストーカー幽霊だが、実はごく稀に例外もある。 あのストーカー幽霊は美形(男性に限る)に弱い。 もっとも威嚇はされずともうっとりした表情で背後霊に見つめ続けられるので精神的苦痛は似たようなものだろう。
ストーカー幽霊でふと記憶がよみがえる。
そういえばヴィクターは兄との初対面時にストーカー幽霊を見て泣き出したのではなかったか。
私の方も初めて会う親族以外の貴族の少年がいきなり号泣したので驚いた、ということを今思い出した。 言いません、というか言えませんけども。
「歓迎会は相変わらずギデオンと踊るのか?」
「ええ、そうです。先生にも頼まれましたので」
ヴィクターは兄と私が今までのイベントでも踊っていたことを記憶しているようだ。 これはますますこちらが相手を認識していなかったと言いにくい。
まあ実を言うと兄はかなり有名なので、妹の私か生徒会役員としか踊らないことを知っている生徒は多いと思う。 なにしろ兄が踊ると目立つので。主にストーカー幽霊が。
「ヴィクター様は引く手あまたなのでは?確か婚約者はいらっしゃいませんでしたよね」
少なくとも幼い頃には聞いたことがない。単に気にしていなかっただけかもしれないけれど。
「そうだな。いくつか話はあるが正式には決まっていない。婚約についてはおまえもだろう?」
「……そうですね」
私の方は話すら来ませんけどね!
引きつりそうになる表情をどうにか抑えて頷いた。ストーカー幽霊の被害は大きい。 あの兄の妹ということで私の縁談にも響いているらしい。何というとばっちり。
兄が悪いのではないというのは重々承知している。多分、運とか巡り合わせが悪かったのだろう。
王家や公爵家などの高貴な身分のお嬢様方には、幼い頃から婚約者がいて学院を卒業と同時に結婚という話もある。
ちなみに高貴な身分じゃなくてもあるという話も聞くが、都市伝説だと思っている。 私に浮いた話がない僻みでは決してない。大事なことだから2回言う。決して僻みではない。 その証拠に私の周囲に卒業と同時に結婚する予定の子は一人もいない。
ところで、用事がないならそろそろ話を切り上げてくれませんかね。あまり長々と話すとぼろが出そうなんですが。

ヴィクターはその後も特に得るもののない無駄話……もとい世間話をして満足したのか、機嫌よさげに去っていった。 私の方はどっと疲れた。
本当はこの後図書室でも行こうと思っていたのだけれど、もう寮に帰ってしまおうか。
「ちょっと、そこのあなた!」
ええい、ヴィクターがようやく去ったと思ったら次は誰だ。 声のした方に目をやると、数人の少女がこちらを取り囲むように近付いてくる。
ストールの色からして、高等部の全学年がいるようだ。一通り視線を走らせても面識がある人はいない。
「あなた!ヴィクター様の何なのよ!」
何の用かとこちらから問う前に、中心にいるリーダー格とおぼしき気の強そうな少女が語気も荒く詰問してきた。 青いストールで2年生の先輩だということは分かる。逆に言えばそれしか分からない。
しかし、何なのよ、と訊かれても困る。何せ、ついさっきまですっかり忘れていたような相手だ。
どういう関係かといえば、まごうことなく他人である。それ以上でもそれ以下でもない。
「他人です。一応は知り合い、でしょうか」
「あの方がわざわざ知り合いというだけの女性に声をかけるなんてありえませんわ!」
そうなのか。何様気取りだ。現在進行形で黒歴史を作成中とは知らなんだ。
それはさておき、彼は知り合いではあるが家族じゃないし友人でもない。 幼馴染みというほど幼い頃に頻繁に会っていたわけでもなく、かといって全く知らないわけでもない。
「あえて捻り出すなら昔馴染み……?」
いや待てよ、特別親しかったわけでもないからせいぜい顔馴染みくらいかもしれない。
「まあ!ヴィクター様に向かってその言い方!失礼ですわ!」
ええー、じゃあどう言えば満足なんでしょうかね。
言わなかったもののうっかり顔に出てしまったのか、相手はむっとした面持ちで言葉を重ねる。
周囲の少女も同調してぴいぴい囀っているのがうるさいので神妙な表情で俯いたまま大半を聞き流していたが、要約するとこういうことらしい。
ヴィクターはまだ婚約者もいないし、周囲に女性の影もない。それなのに特定の女性と親しくするのは好ましくない。
……私の知ったことじゃないし、そんなこと本人に直接訴えてほしい。
正直面倒だなと思っていると涼やかな声が少女達の後ろから響いた。
「ちょっといいかな?」
少女達が一斉に振り返る。そこにいたのは我が兄――ギデオンだった。 後ろのストーカー幽霊は今日も絶好調のようで、兄に声をかけられた少女達を凶悪な面相で睨みつけている。
少女達は一気に顔色を悪くした。単に見咎められて気まずいだけではなく、関わり合いになりたくないのだろう。
「ギデオン様……!」
リーダーの少女は兄の知り合いであったらしい。見間違いでなければ指先が震えている。 兄が恐れられているのではなくてストーカー幽霊の形相に怯えているのだろうが。 もし兄自身に怯えているのならば、兄に対する認識を改めなければならなくなってしまう。
「やあ、エヴァン伯爵令嬢。すまないね、取り込み中だったかな」
誰がどう見ても取り込み中である。ただし、それを言う勇気のある少女は一人もいないようだった。 私はもちろん何も言わない。
「妹に用があるんだけど、連れて行っても問題ないよね」
口調は確認のようですが語尾が上がっておりませんよ、お兄様。
少女達に何かを言う隙を与えず、兄はこちらに歩み寄る。 私を取り囲んでいた少女達は表情を引きつらせながら一歩退いた。
彼女らに視線を向けることなく、兄が微笑んで「行こうか」と私に手を差し出す。 その手を取って少女達の輪を抜け出しても誰も何も言わなかった。 言わないというよりは言えない、が正しいのだろうが。
「助かりました、お兄様。ありがとうございます」
兄に手を取られたまま人気のない場所に来たので、息を吐いて礼を言った。 とてもありがたいタイミングでした。
「キティ、大丈夫だった?」
「ええ、特に危害は加えられていませんから」
せいぜい小煩くて対応に悩んだくらいである。 あのまま続いていればどうなったかは分からないけれど、今回は兄のおかげで実害はないに等しい。
ふと思いついて問い掛けてみる。
「お兄様、ヴィクター・オーエン様はご友人ですか?」
「ヴィクター?まあ一応友人かな」
兄はいきなりの質問にやや驚きつつも答えてくれた。 まあ一応、という表現が若干気に掛かるけれど友人ではあるようだ。
「どうしたの、急に」
「実は先ほど話しかけられまして……」
「ああ、だからエヴァン伯爵令嬢に絡まれてたのか」
納得したように頷く兄。なるほど、彼女は常習犯なんですね。薄々そうだろうなと予想していたけども。
兄によれば、先ほどの集団の中心にいたエヴァン伯爵令嬢はオーエン侯爵家の分家の出身だそうだ。 それを笠に着て、ヴィクターに近づく少女を牽制しているらしい。
「こんなことをあまり言いたくはないけど、ヴィクターと話す時は気をつけた方がいいよ」
ご忠告痛み入ります。私から話しかける気はありませんけどね!

 

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