ある日唐突に、話したことのない先輩からお茶会の招待状が届いた。
色々な意味で有名な先輩なので知ってはいる。
知っているといっても学年も異なるため断片的な情報がいくつか耳に入っているという程度だが、全く知らないというわけではない。
何かの折りに姿を見たことはあっても、話す機会はなかった。
もっともそれは向こうも同じかもしれない。
兄がある意味では有名人なので、妹である私のことを一方的に知っている人は多い。
しかし、だ。
「イニス・ウェブスター公爵令嬢、ねえ」
思わず呟いた声に、同室のマルカが首を傾げた。
「どうしたの?」
寮の部屋は相部屋といっても共用の空間と寝台のある私的な空間がある。
共用の空間にあるソファでくつろいでいたところにいきなりの独り言だ。気にしない方が難しいだろう。
「実は、ウェブスター公爵令嬢からお茶会の招待状が届いたの」
隠すほどのことではないので、右手で招待状をひらひらと動かしながら苦笑とともに説明した。
マルカは驚いたように目を見開いてみせる。
「公爵令嬢とお知り合いだったの?」
「いえ、全く話したこともないわ」
問い掛けに即答すると、不思議そうな表情を浮かべた。それはそうだろう。
学院内のお茶会で、話したこともないような相手を招待することはまずない。
普通は何かしら関係のある相手を招待するものだ。
ここで少しだけクリストフォロス学院の話をしよう。
この学院は貴族の子女を教育するための学舎だ。礼儀作法や様々な知識を学ぶため、というのは表向きの理由で、実際のところは親元で甘やかされた子ども達の鼻っ柱を折りつつ、国家への忠誠心をすり込むためではないかと思っている。
もちろん、思っていても言ったことはない。
歴史を紐解けば、大元は軍学校であったらしい。
この学院が出来た頃は血で血を洗う……は言いすぎかもしれないが、ほどほどに戦があったそうだ。
むしろ戦があったから軍学校を作ったという方が正しい。貴族の子女が使用人や護衛を連れることなく相部屋で生活しているのはその時の名残である。
そして軍学校だっただけあって元々は男子生徒のみを受け入れていたものを、女性の教育と社会進出に積極的だった何代か前の王妃が働きかけて共学にしたという話だった。
この場合の社会進出とはそれまで女性に与えられていなかった継承権や所有権などのことだが、関係ないので今は省く。
なお、現在の世界情勢はおおむね平穏で、国家間の小競り合いはあれどここ百年ほど大陸規模での戦争はない。
軍学校から単なる学舎になるにあたり、子ども達を預かる年数も増えた。
現在は初等部、中等部、高等部が各3年ある。最大9年もいればいくつかの派閥が出来るのは、いかにも貴族ということだろう。
親の権力闘争をそのまま持ち込んでいる場合もあれば、成績やら外的要因やらで対立していることもある。
私は中立派だ。ごく親しい友人以外は敵にも味方にもならない。
そもそもフェアクロフ伯爵家自体の立ち位置もそのような感じで、毒にも薬にもならないと見られている。私も特に異論は無い。
ともかく、学院は学業をたたき込む他に、社交界に出る前の訓練期間という意味合いもある。
特にその意味合いが強いのは歓迎会などのイベントだ。
歓迎会や壮行会以外にもいくつか大きな行事があり、これらのイベントには必ずといっていい程ダンスが付き纏う。夜会を模したイベントなので仕方ない。
これらの大きな行事は生徒会や教師の主催で行われる。けれどそれでは招待されることには慣れても、自ら主催する訓練にはならない。
そこで一般生徒が主催するのがお茶会や倶楽部と呼ばれる活動だ。我が国では一般的にお茶会は女性が、倶楽部は男性が主催する。
参加者も同様だが、男性がお茶会に参加することもあるし、女性が倶楽部の活動に参加することもある。
男性の倶楽部に女性が参加することは少ないけれども。
それを悔しく思ったのかは知らないが、最近の社交界の高貴な身分の女性の中では女性だけの倶楽部活動を行うのが流行しているらしい。
これは噂で聞いただけなので具体的にはよく知らない。
私などは単に人間関係を円滑にするために参加しているにすぎないけれど、ここでの人間関係を足がかりにのし上がってやろうという野心溢れる者や少しでも良い条件の結婚相手を探す者も一定数存在する。
普段の授業は学年毎だが、お茶会や倶楽部に年齢は関係ないからだ。一応主催者は高等部の学生と決まっているものの、参加者は初等部の学生でも問題ないということになっている。
兄はともかく、私が中等部の頃に参加したのは数えられるほどで、よほど派閥内で力があるとか兄弟姉妹や親戚が頻繁に主催するのでない限りはおおむね皆そんなものである。
前置きが長くなったが、そういうわけで私が他学年の知人でもない相手からお茶会に招待されるというのは青天の霹靂と言っていい。
私は再度招待状を眺めた。何度見返しても内容は変わらない。次の休みに私をお茶会に招待したいと書かれている。
うーん、と唸ってからマルカに尋ねてみた。
「マルカはこの方を知っている?」
「直接は知らないわ、噂だけ。どうも、少し変わった方のようね」
高等部から入学したばかりで学院生活の日が浅いマルカですら噂を知っているらしい。
ただし、いくら変わっていると噂の令嬢であろうとも、貴族社会に籍を置く者としてこの招待を断れるはずがないことは分かっている。
身分差を気にしないで生きてはいけないのだ。相手は公爵令嬢。私は伯爵令嬢。
仕方ない。覚悟を決めよう。
重いため息と共に、私は出席の返事をするためペンを取り出した。
お茶会の当日。私の憂鬱な気分とは裏腹に雲一つ無い快晴だった。
今回のお茶会は外で行うわけではないので天候は関係ないが、こうも晴れるとそれはそれで忌々しい。
完全なる八つ当たりであった。しかも天気に。虚しい。
まあこれで雨だったとしたら憂鬱な気分がさらに陰鬱になるだろうから、天気だけでも晴れていて良かったと思うことにする。
今日の会場は学院でお茶会用に貸し出している部屋の一室だ。
学院内にはこういう部屋がいくつもあって、人数や会の趣旨によって使い分けることが可能となっている。
部屋の前で使用人であろう女性に招待状を見せると、中に案内された。
「よく来てくれたわね、カトリーナさん」
本日のイニス・ウェブスター公爵令嬢は見事な蜜色の髪を複雑な形に結っていた。
彼女は一人部屋を使っているそうなので、お抱えの侍女にでも結ってもらっているのだろう。
休日であるため制服ではなく瞳と同色のヘイゼルを基調としたドレスを着ている。
派手な色ではないのに、鮮やかに着こなしているのは流石であった。
嬉しそうに微笑む公爵令嬢にひとまず「こちらこそお招きいただき、ありがとうございます」と控えめに返す。
公爵令嬢は微笑むだけで場の空気を掌握できるような雰囲気の持ち主だった。
一見儚げな美貌でありながらも、生き生きとした瞳が生命力に溢れている。
案内されたテーブルには先客が座っていた。
私と同学年で、高等部から入学した少女だ。
クラスが異なるので話したことはないが、いくつかの授業で見かけたことくらいはある。
今日のお茶会に招かれたのは私を含めて2人だけらしい。
面識のない人間ばかりということなので軽く自己紹介をしてしばらく談笑したあと、公爵令嬢がこう切り出した。
「実はね、貴女方をお呼びしたのはお願いがあったからなの」
「お願い、ですか」
公爵令嬢の言葉にもう一人の招待客――ワンダ・リーランド男爵令嬢が不安げに眉根を寄せる。
……もう帰りたい。
公爵令嬢からのお願い。しがない伯爵令嬢にとって、それはすなわち命令と同義である。
この時点で嫌な予感しかしないものの、黙って先を促した。
「
ここにきて私は、噂が真実であったことを確信した。
ウェブスター公爵家は揃って馬狂い。特に現在の公爵令嬢は乗馬を生きがいにしている。
まことしやかに囁かれている噂通り、公爵令嬢は馬好きだった。それもただの馬好きではない。
馬と乗馬の良さについて情熱的に延々と語られた。なるほどこれは馬狂いと言われても仕方ない。
ただなんというか、語られてもこちらも困るんですけども。
残念でもなんでもないが、私は馬に乗れるからといって乗馬が特別好きなわけではない。
私が馬に乗る訓練をしたのは、兄がこの先もあのままであった場合に対外的な仕事をこなせるようにするためだ。趣味ではなく、実用目的なのである。
普通に移動するなら馬車の方が絶対に良い。しかし緊急時や馬車の乗り入れが難しい場所に赴くことを想定して乗馬を習わされた。
一つ言っておくと、貴族の令嬢のたしなみに乗馬は入っていない。
乗れない方が大多数で、乗れたとしても横座りで並足が精々だろう。
間違ってもこの公爵令嬢のように乗馬服を着て跨がった上、駆け足で走らせるなどしないし出来ない。
昨今は男性でもまともに走らせることが出来ない者も増えていると聞く。
あまり大っぴらに女性が乗馬を好むとは言いにくいご時世なのである。
ちなみに、学院に入学した今でも稀に訓練がてら休日に兄と遠乗りすることはある。
だがその場合のメインは行った先の風景や野外でのピクニックであり、馬に乗ること自体を楽しむためでは決してない。
だいたい、私が馬に乗れるなどと触れ回ったのは誰だ。まさか知り合いでもない公爵令嬢にまで認知されているほど有名なのだろうか。
その旨を聞いてみると、答えはあっさり返ってきた。
「ギデオン様がお話ししていらっしゃるのを小耳に挟みまして」
ネタ元は兄か!何故そんな話をしているんだ!
そしてさりげなく直接聞いた訳ではない辺りにも注意したい。
その言い方だと盗み聞きしたように聞こえるんですが、大丈夫ですか公爵令嬢。たまたま聞こえただけですよね?
お茶会という名の勧誘会をなんとかしのぎきった私は、気分転換もかねて学院の中庭を散歩することにした。
断り切れなかったので返事は保留だ。押し切られずに保留になっただけでもありがたい。
男爵令嬢が参加すると言ってくれたので、私に対しての勧誘から活動内容の説明に移ったおかげである。
あてどなくぶらぶらしていると、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「キティ?」
私をそう呼ぶのは学院内でただ1人。
「お兄様。偶然ですわね」
木陰のベンチに座っていた兄に向かって微笑みかける。
後ろのストーカー幽霊は興味なさげに私を一瞥し、すぐに兄へと視線を戻した。
兄は膝に置いていた本を閉じて私を横に座らせると、私の服装に目を走らせて如才なく誉めてくる。
「春らしい色合いでよく似合っているよ。今日はお茶会でもあったのか?」
「ええ、実はウェブスター公爵令嬢のお茶会に誘われましたの」
「ウェブスター公爵令嬢?キティが?」
首を傾げる兄に事のあらましを簡単に説明した。
その際、「私が乗馬をすることをお兄様がお話ししていたようで」と一言添えるのも忘れない。
気軽に私の情報を出さないでほしい。
兄は何かを思い出すような仕草をした後、「あー」と唸りながら大きく息を吐いた。
「そういえばそんなこともあったかな」
ごめんね、と笑う兄に私もため息を吐く。どうやって断ろうか悩んでるのは兄のせいなのに。
頬を膨らませる私に兄から提案があった。
「困っているようなら僕から断っておこうか?」
一瞬、それは良い案かもと思ってしまった私をお許しください、お兄様。
「……いえ、それにはおよびませんわ」
でも、あの勢いだと引き下がってくれるかどうか。
公爵令嬢の様子を思い返してみると、脳裏を不安がよぎる。
「そう?」
「どうしても無理ならお願いするかもしれません……」
その時はよろしくお願いします。