私の名前はカトリーナ。フェアクロフ伯爵の長女であり、クリストフォロス学院高等部の一年生。しかし、私のことは覚えなくても結構。大概の人は私のことをこう認識している。「あのギデオン・フェアクロフの妹」と。「あの」というのはつまり「薄幸の好青年」とか「不運な伯爵令息」とかいう不名誉極まりない二つ名で、一番端的なのは「悪霊憑き」であろう。
その兄が今目の前にいる。
午前の授業も終わり、友人達と昼食を食べに食堂に行こうかというタイミングだった。廊下側の生徒が引き攣った表情で私を呼ぶので何かと思えば、兄が来ているというではないか。
慌てて駆け寄ると兄は爽やかな笑顔を見せた。
「やあ、キティ。たまには昼でも一緒に食べないか?」
キティ、とは家族内の私の愛称だ。わざわざ一年生の教室まで私を迎えに来たらしい。
「少々お待ちいただけますか?お友達に声をかけてきますので」
一度友人達の元に戻り、今日の昼は兄と食べる旨を伝える。
「そ、そう……」
「わたくしたちのことは気にしないで」
「また後でね、ケイト」
反応は様々だった。なお、ケイトというのは私の通称である。親しい人はたいてい私のことをそう呼ぶ。
閑話休題。
教室を出ると、後ろからひそひそと「アレが噂の……」「初めて見た」「どうなってるんだ?」といった声が聞こえた。その気持ちは分かります。
ああ、高等部からの友人に距離を置かれなければいいけれど。内心考えながら、兄と連れだって食堂へ向かった。
私達兄妹が座った食堂の隅には見事に人がいなくなった。遠巻きにこちらの様子を眺めている人達に言いたい。見世物じゃないんですよ。
兄にとってはいつものこと、私にとっても慣れたこと。それでも傷付かないわけじゃないんです。
全く気にした様子がないのは、兄の後ろに見える少女のみ。
彼女はうっとりした表情でランチ(鶏の香草焼き)を頬張る兄を見つめている。視線に力があったら穴が空きそうなくらいの凝視である。
私は少女からそっと目を逸らして自分の昼食を片付けにかかった。ベーコンと野菜のサンドイッチ、美味しい。
「高等部はどうだい?何か困っていることはないか?」
兄の問い掛けに私は笑顔で首を振った。
「いいえ、ほとんど中等部と変わりませんもの。同じ教室に常に男の方がいらっしゃるのにはまだ慣れませんけど」
クリストフォロス学院は初等部、中等部、高等部を有する貴族の子女のための学校だ。礼儀作法や知識を学ぶため、この国の殆どの貴族の子が集まっている。
中等部まではダンスなど一部の授業を除き、男女別に授業を受けることになっていた。
「高等部から入学したお友達もできましたのよ」
もっとも、そのお友達のうちどれくらいがこれからも変わりなく付き合ってくれるかは予測できないけれど。
基本的には初等部から通う生徒が多いが、中には家庭の事情などで中等部や高等部から入学する者もいる。私達兄妹も中等部からの入学組だ。その理由の9割は兄にある。兄にというか、兄の後ろにいる少女にというべきかもしれない。
兄のギデオンは私と同じ金髪緑眼の好青年である。多少の身内贔屓はあるかもしれないが、成績優秀だし、顔立ちも整っている。性格は温厚で理知的。
おまけに伯爵家の嫡男で……とくれば年頃の少女達が放っておかない好物件に聞こえるだろう。
そんな兄の長所をすべて台無しにするのが兄に取り憑いている背後霊である。
兄以外の人間が皆認識しているこの背後霊は、聞いた話だと兄の3歳の誕生日に急に現れたのだそうだ。嫌な誕生日プレゼントである。全く覚えていないけれど、いきなり現れた背後霊に驚いて幼い私は大泣きしたらしい。ちなみに兄と会って泣き出す子供は少なくない。
兄と一緒に成長している(ように見える)背後霊を、私はストーカー幽霊と呼んでいる。
寡聞にして、この背後霊以外のいわゆる幽霊という存在を見たことがないのだが、一般的に想像される背後霊よりもタチが悪そうなのだ。まず、兄に近付く人間を威嚇する。特に女性に対して激しく威嚇する。例外は家族くらいで、私や母のことは完全無視に近い。
何よりストーカーめいている行動は、手元にどこから用意したのか分からないノートを持って時折何かを書き込んでいることだ。何が書かれているかは誰にも分からない。分からないだけに怖い。
アレが通常のストーカーよりやっかいなのは、常に兄の後ろに陣取っている点だ。そう、常に。授業中どころか風呂もトイレも就寝中も、ストーカー幽霊は兄に寄り添っている。あ、正確には就寝中は後ろにはいない。寝顔を覗き込むように上に浮かんでいたのを目撃したことがある。なかなかのインパクトだった。後ろじゃないからといって何の気休めにもならない。
兄は前世で何か重大な罪でも犯したのだろうか。本人が気付いていないことだけが救い、と言って良いものかどうか。皆が主張しているから自分の背後に霊が居るということは認識しているようだが、兄本人には一切見えていないらしい。
両親は教会から怪しげな自称霊媒師まで頼れそうなものは全て頼った。しかしどんな高名な退魔士も神官も司祭もあれを除霊することは適わなかった。自信満々で来たのに帰る頃には意気消沈、という人が多数いたし、自分の才能に絶望して職を辞してしまった人も少数ながら存在する。こちらに非はないのだが、謝りたくなった。特に後者。
中にはトリックだ、と騒ぎ立てる者もいた。速やかに丁重にお帰りいただいたが、トリックだったらどれだけいいか。
直接被害を被ったという話は聞かないけれど、直接的な被害がなければいいというものでもない。あのストーカー幽霊は直接攻撃こそ出来ないものの、近くにいるだけで精神的ダメージが大きい。他人事なら笑えるが、自分の身に降りかかってくれば笑えない。
誤解無きように言っておくと、別に私は兄が嫌いなわけではない。幼い頃は両親が兄にかかりっきりだったことを悔しく思ったこともあった。しかしすぐに自分にあんなものが憑いていない幸運を喜ぶべきだろうと思い直した。
しかも何やら兄は不運なのだ。無論ストーカー幽霊が取り憑いている段階で他人より数段不幸なのは間違いないが、それだけではなく。買おうと思った物が前の人で売りきれるとか、配布されたテキストに兄の分だけ落丁があるとか、そういう些細な不幸がついて回る。
それらを差し引いたとしても、兄を嫌いになるのは難しい。いつでも穏やかに笑っているような人だし、私のこともよく気に掛けてくれる。勉強をみてもらうことだってある。本当に、ストーカー幽霊さえいなければとてもいい兄なのだ。兄だって好きでストーカー幽霊に取り憑かれているわけではないのだから、学院内でせめて私くらいは兄の味方でありたい。兄はストーカー幽霊のせいで友人が非常に少ない。
「そう、何か問題があったら言うんだよ」
そのセリフはそのままそっくりお返ししたいです。
昼食が終わってからも雑談を続けていたが、そろそろ授業が始まるので戻ることにする。
教室まで送ってくれるというのを固辞して、階段で別れることにした。送ってくれようとするのが善意なのは分かっている。ただ、これ以上の注目と精神的疲労を避けたかったのだ。兄の味方でありたいのは本心からでも、ずっと一緒にいるのは色々と消耗する。正直今日はもう疲れた。
「それじゃあ、キティ。またね」
「ええ、お兄様」
去っていく兄の後ろ姿(+ストーカー幽霊)を見ながら思う。
私は兄の幸福を心から願っている。
あ、転んだ。